社会人数年目。
お休みの過ごし方や「休む」という感覚が同じ人間と時間を過ごすべきだと学んだ。
平日に朝から晩まで仕事をしていると、「丸一日自由!」という意味でのお休みは基本的に週末の2日間しかない。

そのお休みをどのように過ごすのか、「休む」が「外出して遊ぶこと」を示すのか、「ゆっくりと時間が流れること」を示すのか、お休みの価値観が合う人との関係を築きたいと最近は思う。
そう思うようになったきっかけは大きく2つ。

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1つ目は、大学時代からのパワフルな友人と会う約束を立てるのがいつの間にか億劫になってしまったこと。
同じ学科の同級生で、大学生の頃は週に数回は大学で顔を合わせていた友人たちだ。
そういえば、最後に会ったのは1年前だった。

最近は、私が何かと理由をつけて、「会おう!ご飯に行こう!」というお誘いを断ってしまっている。
決してブラック企業に勤めているわけでもないし、基本的に土日祝日はお休みだけれど、なぜか気が進まないのだ。
他の人とは会う予定を立てるのに。

考えてみると、このパワフルな友人たちは、週末の2日間がお休みであれば、両日とも予定を入れるようなタイプだ。
だから、会う日程を調整するときは、「自分の時間」そっちのけで、他の人との先約があるかないかが判断軸になっている分、「お昼は先約あるけど夜は空いているよ」という内容のチャットが繰り広げられる。

他方、私は、週末の2日間がお休みであったとしても、外出の用事は1日だけで十分、もう1日は自分のための時間にしたい人間だ。
たとえば、他の友人とお昼に会う用事があって、夜なら空いているという状態であっても、私は「家で過ごしたい」という「私の用事」を追加してしまうから、「お昼も夜も空いていない」と答えてしまう。
第三者から見れば、私はものすごく私生活も忙しい、予定をたくさん詰めている人間かもしれない。

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技術が進化した現代において、実際に会わなくてもコミュニケーションがとれる時代において、「会わないと壊れてしまう」「会わないと疎遠になってしまう」友人関係は、本当の友情ではない気がする。
「会う時間が合わないな」は、ただ単にお互いに空いている時間が異なるということもあれば、「お休みの過ごし方」や「生活リズム」が異なるということなのかもしれない。

もちろん、大学時代に仲良くしてくれたことは感謝しているし、友人たちには幸せになってほしいと思うけれど、人間は成長し続けるのだからこそ、友情の築き方も同様に変化していくのだと思う。
友人の数は減っていくかもしれないけれど、私は「会う日付を決めること自体も楽しめる」ような相手と会いたいから、「私らしいお休みの過ごし方」を変えないといけないような相手とは、少しだけ距離を置こうと決めた。

だから、知り合って間もない、ある新しい友人と、初めて2人で出かけたときに、「今日は夜どうしますか?」と聞かれて、少しだけ申し訳なさそうに、けれど私は正直に「夜は家で食べようと思っていました」と答えた。
「安心しました。私もお昼に外出したら、夜は家にいたいタイプなので」と笑って答えてくれた、この新しい友人とは、仲良くなれそうだ。

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2つ目は、「お昼に外食したら夜は家で」という価値観が同じ、私の新しい友人に、「レアキャラだね」と言われたこと。

新型コロナウイルスのおかげで、忘年会や新年会、年度末の納会といった大きな飲み会イベントがなくなったこと、平日の「今日一杯飲もうよ」のお誘いがなくなったことは本当にうれしかった。
お酒はどちらかというと好き。そして私はお酒に強い。
だけれど、普段はお酒を飲まず、月に1~2回程度しかアルコールを摂取しない、超健康生活を続けている。
なぜなら、不特定多数で行われる、上辺だけの会話しかない飲み会のお酒よりも、気心知れた友人と2人や3人でゆっくりと味わいながら飲むお酒の方が美味しいからだ。

職場の飲み会は1年に1度参加する程度にしているから、あまり誘われることはないけれど、誘われたとしても数回に1回しか参加しない、超レアキャラになっている。
まるでポケモンのようだけれど、レアキャラでいいじゃん、万歳!
ノーマルなポケモンよりは、レアなポケモンの方が重宝されていいじゃないかという精神で、今日も残業後は家に直帰する生活をしている。

人と関わることは学びの連続であって、コミュニケーション能力は人一倍高いと自負しているけれど、お休みの日だけは、人に合わせるのではなく、「私らしいお休みの過ごし方」と合う人と時を一緒に過ごしたいと思う、今日この頃。