2022年も半分を過ぎた頃、もうだめだ、となってしまって休職することになった。
はじめはどうしてこうなってしまったのか、分からなくて布団の中でポロポロと涙を流すことしかできなかったが、少しずつ起きて、考えられるようになって、なぜこうなったのか言語化できるようになってきた。
要は「自分の存在意義が見えなくなった」のだった。
この職場に私は必要なのか?と疑問を持ち始めた
職場が変わって、そこには能力的にもキャラクター的にも自分の上位互換みたいな人がいた。自分が得意だなと思っていたことはお呼びではなくなった。
プライベートでは、長年一緒にいたパートナーに「どこが好きだったか分からなくなった」と言われた。
……もちろん、これだけが理由ではないけれど……。
どちらかというと、「人のためチームのため」頑張ることが原動力だった私は、そこで自分の価値を見出せなくなり、「あれ?私っている必要、ある?」と疑問を抱いてしまったのだった。
そこからゴロゴロと下り坂を下るように気持ちが落っこちていき、笑えなくなってしまったのだった。比喩ではなく、表情筋が動かなくなった。
ちょっと考えられるところまで復活して、このままじゃダメだ、という焦りだけが日々募っていく。
でも仕事に足は向かないし、そもそも誰にも会いたくない。
「人のために生きてきたんだから、そろそろ自分のために生きてもいいんじゃん?」という思いが頭を掠め、ベットに潜ったまま、スマホで「自分のために生きる 方法」とググってみる。
個人が書いたと思われるサイトやブログがずらっと検索欄に並び、上から一つずつ見ていく。
「自分軸で生きていこう」「自分を大切にしよう」
……その方法がわからないから検索してるんじゃないか。それが簡単にわかるなら、20ウン年もこんな生き方をしていない。
「休みなさい」と言われても、休み方がわからない
焦りすぎて、ひとまずいろんなオンライン講座やセミナーの情報や、転職サイトに登録してみるものの、どれも必要な気がするし、役に立たない気がする。どれもやったほうがいい気がするし、途中で放棄する予感もする。
自分のことだけど自分のことがわからない。頑張れる気もしない。何から手をつけた方がいいか分からず、幸せな未来も見えず、途方に暮れた。
すごく親身になってくれる友人が、「あなたはまだその先を考えられる状態にはいないようだから、休みなさい」と言ってくれた。
わたしはその、「休み方」というのも分からず、ひとまず「休み方」もググってみる。
けれど、休もうとすればするほど、「いやそんな暇なくない?」「早く仕事に戻らないと」「仕事向いてないんだから他の仕事探したほうが?」「ひとりでも自立して生きていかなきゃ」いろんな気持ちが湧いて、泣いた。
考えて考えて考えすぎたところで、一周まわって、何もかも捨てたくなった。
なんかもう、どうでもよくない?
本棚で見つけた「塗り絵」。始めると、達成感があった
ふと思い立ち、いろんなものを捨て始めた。服、思い出の品、本……。バサバサと物を捨てていくなかで、数年前に買った「大人の塗り絵」が本棚の隅からでてきた。数年前、こういう塗り絵がプチブームになったときに勢いでかったやつ。
子どもの塗り絵と違って、モチーフがキャラクターではなく、花とか金魚とか大人っぽい雰囲気になっているのが特徴的な塗り絵。
あんまりよく見ずに買って本棚にずっと眠ってたけど、よくよく説明を読むとどうやら気持ちを落ち着かせるような効果もあるらしい。
どうせ暇だし。と思ってふと塗り始めてみたら、これが私にはよかった。
単純に楽しいのもあるが、色を塗っている間は、ひたすら無心になれるのだ。もちろん、どこを何色で塗ろうか?とか、バランスは良いかな?とか塗り絵を完成させるための思考は発生するのだが、仕事は?次は?パートナーは?家は?……こうした焦りを、気がついたら忘れていた。
夢中になって塗っていると時間が経つし、終わったあとには、「何かを成し遂げた達成感」がある。
どこに何を塗ろうか?誰のことも何も気にせず、自分の思い通りに塗りつぶしていく。
自分の考えで選択することを忘れた私のリハビリみたいだ。
私の思うままに塗っていく。楽しみが増えていった
毎日少しずつではあったが、塗っていった。
なるべく美しい色を。花びら一枚ずつ別の色で塗るのも綺麗だな。こんな色の魚はいないだろうけど、塗っちゃえ。現実的でなくても、常識的でなくてもいい。だってどうせ私しか見ない。私がよければそれでいいのだ。
この時間が楽しくて、少しずつ布団から出ている時間も増えた。起きて机に向かう。気がつけばお腹も空いて、ご飯を口に入れる。少しだけ、楽しみができた。
まだ外に出られていない。
何も解決していないし、前に進んでもいない。
それでも、休むことに対する罪悪感とか、何もない私への焦りは前より軽くなった気がする。
もういいや、これは必要なお休みなのだ。
2023年、私が再起動するために。私のために生きられるように。