私は母が苦手だ。幼い頃から折り合いが悪く、母は私より兄の方が好きだった。
それでも母のことが嫌いになれなくて、好かれたい時期がずっと続いていた。親だから好きでいないといけない。そんな呪いのようなものを、胸に抱えながら生きていた。
母とは何かと反発し合っていた。着たい服装で揉め、対人関係で口を出され、進路で反対される。とにかく、「そんなんだからお前はダメだ」と口を出され続けてきた。
言い返せば、「可愛げがない」と言い、黙っていれば、「私のことを馬鹿にしてるだろ」と、どう転んでも私の心が傷つく結果にしかならない。私自身も言われすぎて、「うるせーばーか」な反骨精神と、「やっぱり私ってダメなんだ」な自己肯定感のない二面性を持った人間になったように思う。

しんどい気持ちでいっぱいで、毎日が楽しい日々ではなかった。だけど、自分の気持ちに素直になって楽になった日が訪れた。夫と結婚が決まった日だ。

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夫と結婚する際、母はすんなりOKしてくれた。学生時代、これでもかと口出ししていたのが嘘のようだ。実家を出る時は渋っている素振りがあったものの、なんとか家を出ることに成功した。結婚して、私は初めて家を出て家族と離れる日々を過ごすことになった。
実家を出て数日は、慣れない家事や慣れない土地で戸惑いもあった。しかしながら、次第に夫と二人で過ごす内にリラックスできていることに気がついた。
家事も協力できるし、何かあったら相談できる。しんどい時はお互い楽にできるように工夫し合う。実家にいた時とは大違いだった。
実家にいる時は、自分でなんとかするのが当たり前だった。お願い事なんてもってのほか。他人と協力するってこんなに楽で居心地が良くなるのか。むしろ、夫に依存してしまわないか心配してしまうぐらい。

結婚してから一度、実家に帰る用事があって帰省したことがある。親と離れ、夫との二人暮らしを堪能していた自分は、色んなことにうまく立ち回れるようになったと思い込んでいた。どこかで母と分かり合えるような気がしていた。
そんな気持ちは虚しく、無駄だった。帰ってきた私に対して、母は辛辣な態度のままだった。家にいた時と同じで、「お前はここができてない」「可愛げがない」と悪気なく言うのだ。
私が変わったと思っていても、この人はこの人のままだ。私の思いが一向に伝わらない。その瞬間、「あ。私、この人のこと嫌いなんだ」とはっきりと自覚した。そこからどうやって家を出たのかあまり記憶にない。ただ、夫に「私、あの人のこと嫌いやわ」と、泣きながら呟いたことだけは覚えている。

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自分の母との関係がなんとなく変な気がするとはずっと思っていた。学生時代、友人と親の関係の話をした時や、夫の義母にあった時に「うちとは全然違うな」と感じていた。
皆、少なからず母を尊敬し愛している。じゃあ私は……?疑念を拭えないまま、大人になってしまっていた。
夫と暮らし始めてから、母に対する違和感は積もっていたと思う。思い返せば、母が怒りそうになった瞬間、自分のせいでなくとも機嫌を取るようなことをしたり、進んで母をフォローする立ち回りを買って出ていた。家の中にいた頃の私は、心がすり減っていた。
私は母のケアラーじゃない。母が嫌いだと自覚してから、自分達の関係性の歪さがようやくわかった。
夫に訴えたところ、「前から、自分と義母さんの関係が変だなとは思っていた」。だったら、わかっていた時点で教えて欲しかった。夫曰く、自分で気が付かないと、この先どうしたいか決められないだろうとのことだった。それに、他人の口から言われても納得できない部分が多いだろうと。一理ある。

「簡単には、親子の縁は切れないし、これからは最低限の付き合いにしよう」
それから、お盆や正月も特に帰ることなく、本当に用事のある時にだけ会うという最低限の付き合いになった。薄情と思われてもいい。でも私の心はとても穏やかだ。母のことを考える時間を極力減らした。私は、新しい家族との時間を大切にしたい。

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もし、あのまま家から出なかったら……と想像するだけでゾッとする。
夫に涙ながらに「母が嫌い」と言った日。あの日がなければ、ずっと母のことを気にして生活していたかもしれない。夫と最低限の付き合いにしようと決めたことで、幼い頃に苦しんでいた私も救えた気がした。
これからは、大好きな夫とたくさん思い出を作ろう。たくさんの記念日を作ろう。
あの日は私の人生を変えた小さな記念日。私の人生は夫と過ごしてから、小さな記念日が星のように散りばめられている。