月曜日、出勤した後、なぜか何もかもうまくいかず、体におもりをつけているようなだるい感覚に1日悩まされた。
自分にも周りにも良いように一生懸命動いているはずなのに、周りからの反応が何かのはずみで攻撃的に見えたり、自分に失望しているように感じたり。

具体的に何が原因、ということではない。
生理は先週終わったし、今は一番元気な時期のはず、なのに。
長引く暑さに夏バテ、季節の変わり目のためか肌も調子が悪く、1日中「早く帰りたい、なんかわかんないけど最悪」と思っていた。
そんなふうに感じる自分自身も嫌だった。

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帰宅してもソファに寝転んでも、沈んだ心が戻らない。体もだるくてたまらない。何をしたらいいかも、自分ではちょっと考えられない。夫が帰ってくるまでにはまだ時間がある。しんどい。
そのとき、ふと、髪を切ろう、と思った。

数年間お世話になっている美容師さんの言葉を思い出した。
実は今年の春、ヘアドネーションのために31cmドネーション用にカットしていた。
そのとき美容師さんは、せっかく伸ばした髪を切るのを少し名残惜しそうにしている私に、笑いながら言ってくれた。
「髪って邪念みたいなものを抱えたりするから、迷わないで切っちゃおう。切ったら絶対切ってよかった、って思うから」

結婚式のために3年間髪を伸ばし、終わったらばっさりドネーションするとずっと決めていたのに、いざ当日になって、「人生でもう2度とこんなに長く髪を伸ばせないかも」「短くして似合わなかったらどうしよう」「もったいないかな」と躊躇っている私に、明るい声をかけながら美容師さんはサクサクッと切ってくれた。

鏡越しに、久しぶりに肩くらいの長さの髪を見て、「ついに切ってしまった〜」という呆然とした思いと一緒に、なんとも言えない解放感と、顔周りで揺れる髪の軽さに気持ちがふっと軽くなった感覚を、思い出した。

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今の自分の髪は、ちょうど肩につくかつかないかで、外側にハネている。
疲れている時にはドライヤーですら億劫だし、最近の湿度の高さで髪もなかなかまとまらない。
また伸ばしたら、ヘアアレンジとかを楽しもう、とか思っていたけれど、ヘアドネーションする前だって、いろんなことができたはずなのに、忙しいし不器用だし、なんだかんだヘアアレンジとかはしなかった。
それだったら、いっそ切ってしまおう。

「髪を切ったら何か解決するわけじゃないだろうけど、何か変わるかもしれない」
その時のふわりとした解放感を思い出し、今動かないと、もうできない気がして、家から近く、その日に行ける場所を予約した。

「顎下くらいのボブにしてください。でも実は今までボブにしたことがないので似合うか不安です。結べない長さに切るのは、4年ぶりくらいです」とお願いすると、美容師さんは、「短い髪も似合うと思いますよ。ボブはだいぶ印象が変わるので楽しみですね」と言ってくれた。
少し緊張しながら、ジョキジョキと髪が切られていくたびに「これでちょっと楽になれたらいいな」とぼーっと考えていた。

毛先を揃えてもらい、顎下くらいのボブにしてもらった。
正面から見た時、「髪の長さで顔の印象がかなり変わったな、これはメイクとかも変えた方がいいかもしれない」と、ちょっとだけ不安になった。
でも、美容師さんが後ろ姿の髪型を鏡越しに見せてくれたとき、揃えられた毛先と、ボブならではのまとまった形に「自分の髪もこんなふうになるんだ」と心が躍った。

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美容院から外に出て、風を切るように道を歩いた時に顔周りに感じる感覚の変化に気づいたり、ガラス越しに自分の姿を見るときが、とても嬉しい。
とにかく軽い、やっぱり思い切って、美容院に来てよかった。

その時、ツヤツヤの長い黒髪でフェミニンなワンピースを着ている女性とすれ違った。
ふと「私、あの髪の長さにしようと思ったら何年かかるんだろう」と思った。
周りを見渡せば、長い髪の女の子はたくさんいて、巻いたり結んだりアレンジして、とても“女性らしく”見える。
今の私の髪型だと、可愛らしい服はもしかしたら似合わないかもしれない、女性らしさは無くなったのかも、なんて思って、何か失ったかのように少し虚しくなった。

そういえば、今ではあまり言われないかもしれないけれど、失恋した女性は髪を切る、なんていう話もあったりしたな、と思い出す。
告白に失敗したり、好きな男性に相手がいて諦めるとき、女性は髪を切るものだ、ということがなんとなくなんとなく刷り込まれて、「髪を短くしたら、周りから失恋したと思われるかもしれない」と思っていたのかも。

髪は、女性らしさ男性らしさ、文化、感情、変化を表すものなのかもしれない。
人柄や立場、職業からイメージされる髪型があるかもしれない。
でも、女性らしさ、好意的にみられるために、または求められている外見に合わせるために、自分自身から湧き上がる感覚を無視していいんだろうか。

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今回の私は、理想の自分がいて、そこに向かって必死に頑張っているつもりだったけど、何か違う気がしていて迷っていて、何かを変えたいと思う自分がいたのかも。
その湧き上がる感覚に突き動かされるように、髪を切りに来たのだ。

自分の感覚に素直になれることは、とても幸せなことだと思う。
道を歩きながら、頭を揺らしてみる。
サラサラと首周りに触れる髪は、とても軽い。
手櫛でとかしたときに、スッと指が通り、風になびくのが、心地よい。

「髪って邪念みたいなものを抱えたりするから、迷わないで切っちゃおう。切ったら絶対切ってよかったって思うから」
という言葉を思い出す。
邪念は全部スッキリと消え去ってはくれないけれど、何かは切った髪と一緒に、どこかに消えてくれた気がする。
ちょっとしんどくなってたんだな、と気づいたのだから、無理しないようにしないとね、と思いながら、この髪型に合う服を今度探しに行く予定を考えてみた。