カレンダーを見て、もう10月かと感慨深くなる。
今年も早いね、と同棲する恋人と話しながら、今年の目標について考える。
このエッセイ(「愛を求める原因に気付いて泣いた。2022年は依存をやめる」)にも書いたように、私の今年の目標は「依存しないこと」だった。果たして私は依存をやめて、生活できているだろうか。

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先述のエッセイで、私の依存の根源は「両親からの愛情不足である」と導き出した。今もそう思う。
そんな私だけれど、6月に親元を離れて恋人と暮らし始めてから、両親への依存や執着がかなり薄れたような気がしている。
たとえば、身に着けるものはすべて母の目を気にしていたのに、今では好きな洋服を楽しむことが出来ている。
私の趣味を「ケバい」「派手すぎる」と嫌がり見下す母の顔色を伺うことが無くなったし、「こんな服を着て母からもっと嫌われたらどうしよう」と悩むことだって無くなった。
同棲する恋人が、惜しみなく愛情をくれるからだと思う。恵まれた環境にいるとも思う。感謝している。

でも、私が本当に依存や執着をやめられた最大の原因は、恋人の存在ではないと思っている。確かに恋人はいわゆる「理解のある彼くん」のように、私のことをよく理解し大丈夫にしてくれる人である。ただ、私が思うに、今までと違ってすぐに帰れる距離に実家が無くなったことが、自立できた最大の要因なのである。

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今までは、困ったらまだ毒親である両親の許へ帰る方がマシだと思って帰ることができた。でも今は、新幹線で2時間の距離に実家がある。おいそれとは帰れない。
メンタルに限界が来たとき、逃げる場所が一つ無くなった訳である。

では限界が来たときどうしたか。
自分に、「よく頑張ったね」と声をかけられるようになったのである。
今までは、否定されて育ってきたから、「それくらいできて当たり前」と思い、自分を肯定することができなかった。
でも今は、「お皿を洗えてえらい!」「お風呂に入れてえらい!」などと、簡単なことだけれど少し面倒なことができる度に、自分を褒めることができている。

こうなってくると、自分以外の人たちのことも、「やるじゃん!」と肯定的な目で見られるようにもなる。そして、自分が面倒で放置していたことなどをする人がいれば、感謝することだって格段に増えた。実際に、10年来の付き合いのある人からは、「最近よく『ありがとう』って言ってくれるようになったよね」とも言われたりもした。

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他人に依存するのではなく、自分を最大限に肯定する。
こんなルーティンがなんとなくできるようになったから、私は誰かに依存しなくても比較的病まずに過ごせるようになったし、人に感謝することだってできるようになった。
こうなれたのは、周りの人々のお陰だと思っているし、また自分自身が成長できた証でもあると思っている。

波乱万丈であった2022年。
それでも成長して生き延びられた私とみんなに拍手を送り、この文章を終える。