「おばあちゃん、遊びに来たよ」
お線香をあげて、そっと手を合わせる。
「あら、いらっしゃい」
そんな声が、聞こえてくるような気がする。

◎          ◎

ここは、母の実家。数ヶ月前に天国に旅立った祖母が、長年暮らした家だ。
仏壇の前から立ち上がり、あたりを見渡す。大きな窓。緑色の絨毯。広い部屋の奥に鎮座したピアノ。お客さん用のテーブルとソファー。懐かしい。
廊下を進むと、座敷がある。冬になると、ここにこたつを出していた。
子どもの頃、仕事で両親の帰りが遅かったので、毎日のように一緒に過ごしていた。
こたつで食べるごはん、おいしかったなぁ。カレー、うどん、麻婆豆腐。どれも、大好きだった。
中でも鮮明に思い出すのは、トロトロの煮込みハンバーグ。ピアノのお稽古がある日の定番メニューだった。
手作りの温かいハンバーグ。シメジがゴロゴロ入った、コクたっぷりのトマトソース。こっそり教えてくれた話では、お気に入りのオイスターソースをちょっぴり足すのが、隠し味の決め手だったようだ。
食べ盛りの私と弟は、毎週のように「おいしい」と言って、ペロリと平らげたものだった。

食事の後にお茶を飲んで、お菓子や果物を食べるのも楽しみだった。
学校であったこと、勉強や部活のこと、今ハマっていること。祖母は、私たちのどんな話でも楽しそうに聞いてくれた。そうこうしているうち、時間が経つのも忘れて話し込んでしまう。
「何してるの、帰るよ」
と、母があわてて迎えに来るところまでが、お約束だった。

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なぜ、それほどまでに居心地がよかったのだろうか。あの家には、不思議なやわらかさがあった。
何人で走り回ってもあまるくらいの、広い間取り。目に優しい色合いの、木の温もり。畳がくれる、安心感。昔ながらの家という感じだ。
そして何より、祖母のお世話好きな人柄が大きかった。
親戚や友達、古い付き合いのご近所さんはもちろん、たまたま立ち寄った私の友人とも、わけへだてなく接していた。
「どうぞ、上がっていって」とお茶を出し、一緒にお菓子を食べて、お喋りする。気づくと小一時間経っているのだから、何か、皆を惹き付ける魔法があったに違いない。

後に介護が必要になり、ヘルパーさんやリハビリの人が家に来るようになると、そこでもお世話好きが発動したらしい。
これは母から聞いた話だが、あるときはヘルパーさんとの雑談の中で得意料理のレシピを披露したそうだ。また、リハビリのお兄さんのことが大好きで、孫のようにかわいがって、育てている花の話で盛り上がったなんてこともあった。
ここまで来ると、どんなに体が思うに任せなくても、根っからのそういう性格なのだ。そして、皆、そんな祖母のことが大好きだった。

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お線香をあげるたび、確かにそこでそうして暮らしていた、祖母の空気が流れているのを感じる。まるで子どもの頃にタイムスリップした気分だ。そしてふと、
「あ、いないんだった」
と我に返ることが、しばしばある。そんなとき、まだまだ心が求めているのだと気づく。
よく、亡くなった人について、「体はなくなっても、身近な人の心の中で生き続ける」と言われるが、最近、その言葉に救われている。
これから先、私にいろいろなことが起きて、祖母に話したくなって、そのたびに寂しくなる気がする。
しかし、どんなときにも、一緒にいてくれるはず。そう感じることができれば、前を向いていられると思うのだ。そして、ことあるごとに思い出し、ずっとつながっていることが、供養になると信じたい。

その思いは、私だけでなく、母も同じだったようだ。
「おばあちゃんが、せっせと作ってくれたでしょう」
と、ある日の夕食に出てきたのは、煮込みハンバーグ。子どもの頃によく食べていた、あの味だ。
「いただきます」
馴染みのお肉屋さんのハンバーグ。さっぱりとしたトマトソース。おいしい。
「おばあちゃんの味じゃないけど」
と、母。
確かに。どんなに同じようなものを作ろうとしても、ひとりひとり、味は違うものなのだ。これは母の味。それでいい。もし、私が作ったら、どうなるだろう。
隠し味は、私とおばあちゃんの間だけの秘密ね。