19歳の年末、私は六本木のバーでバイトをしていた。お小遣いを少しでも稼ごうと友人の紹介で始めたそのバイトは、わずか2週間で強烈な世界を見せてくれた。

ナイトクラブ街のど真ん中に位置していたこともあり、いつまでも夜が続くような不思議な空間だった。
開店の21時になると、パラパラと今夜の情事を期待したメンズがどこからともなく訪れる。時計の針が一番高い位置にくる頃には、「ライバルは寒さです」とでも言わんばかりの短いスカートを履いた綺麗な女性たちが、これからの作戦会議をしに入店。真夜中のおやつの時間辺りになると、マイクを通しているのかと疑いたくなる程の声量でしか話せないグループが集まり始める。始発電車が動き始める頃には、あのミニスカのミッドナイトガールズたちがおぼつかない足で再集合し、反省会を開く。

そんな人々の目まぐるしい行き来をカウンター越しで眺めているだけなら、良い思い出になったのかもしれない。しかし、そんな感情むき出しの彼らを無傷のまま見ていられる訳がない。彼らの有り余ったエネルギーが、外野にいる私のもとに際限なく降りかかるのは必然だった。
心無い言葉は、発言者のアルコールの摂取量に比例した勢いで私の胸を突いたし、セクハラまがいの接触にストレスを積もらせた。

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バイトを始めて2、3日後の深夜過ぎ、私の心は深くえぐられた。
その日は平日で、何時になっても客足はまばらだった。延々と壁一面にディスプレイされているボトルを磨いていると、すでに酔っている3人組の男性グループが来店した。どうやら店長の知り合いのようだったが、その時、丁度店長は近くまで買い出しに出掛けていた。
店長にLINEをすると、10分程で戻るとの返信が直ぐ返ってきた。10分ならなんとかなるだろうと思い、お酒を出した後は適度な距離感を保ちながら接客をすることにした。
しかし、私が作った焼酎の水割りが強過ぎたらしく、早くも1人がお怒り気味。謝って急いで新しいものを作ったが、このやり取りで彼は私にロックオン。
可愛くないだの、太り過ぎだの、接客に向いてないだの、次から次へと直球の感想が飛んできた。挙句の果てには、憶測による全く無実痛恨の性的な悪口まで言われ、私の耳がみるみるうちに赤くなっていった。残り2人の男も笑い転げている。
もう涙が落ちそう、と思った時に店長が戻ってきた。

何も知らない店長は3人に挨拶をしてカウンターの中に入ってきたが、ヒートアップした男性客は店長に一言。
「なあ、なんでこんな女を雇ったの?」
店長は笑いながら「どういうこと?」と質問をし返しながら、私に向かって「今日は暇すぎるから外でビラでも配ってきて」と指示した。
私は、ほとんど聞こえない声で「はい」と返事をして、コートを掴むと足早に店を出た。
喉が痛い。声が出てこない。
階段を降りるのではなく、上がった。そして非常階段に座りこんで、静かに、でも顔をぐちゃぐちゃにしながら泣いた。
私は何をしているのだろう。
嗚咽すら出てこず、唯一流れ出る涙を感情の出口として泣き続けた。

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どれくらいそうしていたのか分からない。しかし遂に涙が引いていくと同時に、感情の昂りも治ってきた。吹き付ける風から寒さを感じた。それでも体に力が入らず、腰を上げられない。
寒さからなのか、泣き腫らした目の重みからなのか、うつむいて目を閉じると急激な眠気が襲ってきた。
しかしここは午前1時過ぎの六本木。クラブミュージックと叫び声が入り混じる混沌とした、あまりに居心地の悪い世界。そんな世界で眠れるはずはない。
それでも目を開けて現実を見たくなかった。私の中に残った感情は、彼らに対する憎しみではなく、私自身に対する嫌悪感だった。
初めての経験だった。あんなに酷い言葉を目の前で集中的に言われたのは。

店長へ送信したLINEの時間から逆算して、店を出て1時間となるタイミングで戻ることにした。幸いにして、あの男たちは近くのクラブへ繰り出した後だった。
店長はあの後のことを何も言わず、「暇だから寝るわ。客が来たら起こして」とだけ言い残して、奥のソファーで眠り始めた。
私はまたディスプレイされているボトルを磨き始めた。

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あのバーでのバイト中、あの男性3人組以外からも様々な鋭利な言葉を投げかけられた。その大抵は私の見た目に関するものだった。
なぜ私があそこまで傷ついたのか。それはきっと私の存在を否定されたからだ。ここにいる価値がない、と遠回しに言われたと感じたからだ。
私が涙を止められなかったのは、温室育ちだからでも、精神的に弱かったからでもない。今まで無意識に自分の中で築いていた自己肯定感を一気に下げられたからだ。「生まれてきて良かった」「わたしはありのままで良い」と、両親や周囲のおかげで思えていた感情を、根こそぎ崩されたからだ。

あの冬から10年経った今、私は大学院で教育社会学を勉強している。
相変わらず彼らを憎んでなどいない。でも、バッド・メモリーだったねで終わらせられない。だから将来の子どもたちの存在をもって、彼らに今までの行動を見直してほしいのだ。
彼らが傷つけたのは、恐らく私だけではないだろう。お酒が入ったから何を言っても、やっても許されるわけではないことを、この先を生きる子どもたちの行動や考え方から学んでもらいたい。
だから私はその社会構造を作る勉強をしている。それが最高にして最大のリベンジになると思っているから。