私は、元々接客が好きだった。でも、新卒後すぐに就いた接客業。そこで痛感したのは、「仕事≠やりたいこと」ということだった。

最初に選んだ仕事は、お客さんと一対一で接する仕事だった。接客業は、やりがいがあって楽しかった。お客さんの生活環境をヒアリングして、それぞれに合った商品をお勧めして、いいものを売ると上司に褒められる。どんどん商品知識を増やして、お客さんとの接し方を学んで、常連さんとも仲良くなれた。
でも、私の身体が悲鳴を上げたのは、入社して半年が経った時のことだった。

半年で根をあげ、休職。どうしてこの会社を選んでしまったんだろう

問題は、他のスタッフとの連携の取り方だった。男性の多い実力主義の世界だった。少しでも間違えたことをすると男性の上司にインカムで怒鳴られ、バックヤードで怒鳴られ、お客さんの前でも怒鳴られ――ついに私は体調を崩して休職することになった。

適応障害だった。心療内科の先生には、一ヵ月程度仕事を休んだ方が良いと言われた。休職の最初の日、私は今までで一番酷く体調を崩した。一日中涙が止まらなくて、身体中が痛かった。きっと、気が抜けてしまったのだ。その日はじっと部屋に引きこもって、ご飯もまともに食べなかった。
たった半年で根を上げるなんて、なんて私は弱いんだろう。一ヵ月休職して、また働き始めるとしてもきっと同じことの繰り返しだ。どうして私はこの会社を選んでしまったんだろう。これから先、どうすれば良いのだろう――そんな考えがずっとぐるぐる頭を回っていた。

二週間程経ったある日、先生に公園で散歩をすると良いと言われた。私は自宅から徒歩十分ほどのところにある公園に通い、図書館で借りた本を読んだり好きな音楽を聴いたりして毎日を過ごした。
ちょっと前からは考えられないくらい、平穏な日々。そんなときに彼氏から言われた一言で、私の人生は大きく変わったんだと思う。
「真美、また塾講師やってみない?」

転職を決意して自己分析を開始。浮かんできた仕事は「塾講師」

塾講師は、私が大学時代にアルバイトをしていた仕事だ。彼曰く、私の自宅の近くで求人を募集している小さな集団指導塾があるらしい。転職、か。そろそろ体調も落ち着いてきたし、動き出してもいいのかもしれないな。そう考えた私は、まずは自己分析をしてみることにした。

穏やかな仕事がしたいな。最初に浮かんだのはそれだった。
やっぱり心の病気を持っている私には接客は向いてなかったんだ。なら、次は向いている仕事を探せば良い。私にできることは何だろう。子供と接する仕事、英語を使った仕事、体力を使わない仕事、大きな声を出さない仕事――私、また塾の先生できるかな。楽しかったあの仕事をしていた時の自分に、また戻れるのかな。私はその日の夜、彼が勧めてくれた塾に電話をかけた。

本当に驚くほど、とんとん拍子にことは進んだ。通らないと思っていた書類審査はあっさり通り、形だけの面接、というか面談も通り、簡単な学力試験も通り……一週間が経った頃には転職活動は終わっていて、私はまた塾の先生になっていた。

主な業務は、学習塾の運営、授業、生徒とのコミュニケーション、塾と提携している別の事務所での事務、書類の翻訳――今のところ、大きなストレスもなく楽しく働けている。塾にしては珍しく残業が全くない会社で、いつも定時には家に着いている。他の先生も女性ばかりで怖い男性上司もいないし、生徒は個性的な子が多くてコミュニケーションをとるのがとても楽しい。大学で学んできた英語も翻訳で活かせるし、塾講師の経験も活かせる。いろいろあったけど、やっと自分に合う仕事が見つけられて私はとても幸せだ。

仕事に求めることは、「やりたいこと」ではなく「自分にできること」

私が仕事に求めることは、「やりたいこと」ではなく「自分にできること」だ。大きなストレスがなく、身体を壊さずに、なるべく長く続けられる仕事。この「自分にできること」がいつか「やりたいこと」に変わったなら、こんなに嬉しいことはないだろう。
心の病気を抱えながらできる仕事は限られてしまう。でも、こんな私にもできる仕事があるのなら、それは天職なのではないだろうか。
私は今の新しい職場で、頑張りすぎないように頑張りながら、「やりたいこと」を探していきたい。