数年前、もう一生親族の誰とも会わない覚悟、そして実家のある地域に二度と戻らない覚悟で、私は逃げるように実家から姿を消した。
主な理由は、ヒステリックで攻撃的な毒母と、それを傍観するだけの毒父。そして自分の人生をこれ以上彼らに支配されないためだった。
特に、同性ということもあり私を自身と重ねていたのだろうか、精神的に支配しようとする母は、いくら憎んでも憎みきれなかった。母の機嫌次第で、暴力や暴言を浴びることも日常茶飯事。母にとって私はお人形でありサンドバッグ。私に人権などなかった。

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実家と縁を切った後も、私は時々、母はどういう心理、事情、理由からそのような母親になってしまったのだろうと想像を巡らしていた。
主な要因としては、母の生い立ち、そして人間的な弱さになるだろう。
母の母親、つまり私の祖母は、子供たちに躾という名の体罰や子供たちの所有物の破壊も辞さない人だったと聞いたことがある。それに、(祖母を擁護するわけではないが)当時の人たちの感覚としては、それが特段非難されるべきことでもなければ、深く疑問に思うこともなかったのだろう。そして母は、本来の子供との適切な接し方を知ったり考えたりする機会のないまま、自身も母親になってしまったのだろう。

けれども、そういった事情を考慮したとしても、母は結局は弱い人間だったという結論になる。悲しみや怒りをたくさん感じたであろう子供時代の自分に蓋をして、自分はどういった子育てをすればいいのか真剣に向き合うことなく、娘に精神的に依存し、思考停止で反面教師をそのまま見習ってしまった母に、冷たいと思われるかもしれないが、寄せる同情など微塵もない。
仮に精神を患っていたから仕方なかったのだと弁解されようとも、彼女がそもそもそんな状態で子供を持とうと思ったこと、治療に前向きでなかったこと、病状が改善しないなら娘から自分を隔離するなど、適切な処置を怠ったことについて、私には到底納得できない。やはり、情状酌量の余地はない。

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こんな私だけど、不思議なことに結婚願望、出産願望はそれなりにある。当然のことながら、母の轍を踏まないように、という条件付きではあるが。
いつか私が家庭を持つことが叶うなら、私はきっと、母よりずっと上手くやってみせる。
子育ての大変さを肌で感じたことのない今の私が何を言っているんだ、と言われてしまうかもしれない。確かに私自身、結局、「言うは易く行うは難し」となってしまう未来が可能性として見えていないわけではない。
それでも、私は母と違うんだって証明してみせたい。現に、私は悲しみや怒りを感じた子供時代の自分に蓋をしていない。それどころか、その感情のエネルギーをバネに、人生をかけて母を見返そうとしている。

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見返すと言っても、難しい話ではない。
笑顔で「ただいま」「おかえり」を言い合うのが当たり前な家庭。和やかな会話が交わされる食卓のある家庭。もちろん、「二度と戻りたくない」と考えながら離れる人なんて誰一人としていない。そんな家庭を作ってみせる。少なくともその気概はある。

これは自分との約束でもあり、その気持ちに揺らぎはない。母よりずっと賢く、強い人間としての自分でいたいし、本当の意味で母からの呪いを跳ね返すことができたんだって笑える日をいつか迎えたい。
散々私を見下してきた母にできる、私なりのリベンジだ。