あなたはどんなSNSのアカウントを持っていますか?
趣味を語るアカウント、同級生の近況を知るためのアカウント、手料理を自慢するアカウント。ブログやFacebookの時代には、「自分という人間が投稿する」というくらいの大ざっぱなカテゴライズのアカウントが多かった。
しかし、TwitterやInstagramが広まると、細かくジャンルごとにカテゴライズされたアカウントが急激に増えた。かくいう私も複数のアカウントをジャンルごとに使い分けている。

私はアカウントを分けたほうが、自分という人となりがはっきりするような気がしていた。自分のアイデンティティがアカウントページを一目見るだけでわかるのだから。
そう思っていたはずなのに、運用していくうちに自分という人格が消えていくように感じるようになっていた。言いたいことが徐々に言えなくなっていった。「このアカウントにふさわしくない」とか、「いつもの投稿を期待しているフォロワーさんはそれ以外の面を見せられても困るよな」とか、言いたいことを投稿できない理由がどんどんと増えた。

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そんな中、同じ勉強アカウントを運用していて、プレゼンの練習会を開いている方に出会った。私自身大学生活でプレゼンの大切さを痛感していたので参加してみることにした。
ZOOMのルームに入ると挨拶が始まり、次に「まずアイスブレイクに最近食べておいしかったものを教えて~」と話をふられた。
ここで私は何も思い浮かばなかった。「あれ?何を話したらいいんだろう」「私って何が好きそうに見えているんだろう」と頭の中に疑問がたくさんわいてきた。
そんなことを考えているうちにもどんどんみんなが発表していて、私の番がやってきた。その時手元にあったタリーズのドリンクを見て、とっさに「タリーズの期間限定のドリンクかな……」と私は答えた。すると「カフェで勉強しているイメージあったからすごいAちゃんらしいね」と反応が返ってきた。
「あぁ、これが正解だったんだ」と、ほっと一息ついた。しかし、一息つき終わるとハッとした。私はいつの間にか自分のアカウントらしさを自分らしさと思うようになっていたことに気がついた。

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アカウントが細分化されるようになったからこそ、自分のアイデンティティも限定的なものになっていたのだ。自分自身をカテゴライズして、そのカテゴリーのイメージに当てはまるような行動を無意識のうちにとるようになっていた。そしていつの間にかそのイメージでがんじがらめに組み伏せられ身動きが取れなくなっていた。

堂々と自分の好きなものやおいしかったものを語っていた人、それに質問や感想を送る人、そんな人たちのコミュニケーションをみて、私はこう思った。
「こんなにも人に興味を持っている人がいたんだ」と。
SNSのタイムラインに流れてくるだけの遠い存在と私もたくさんの人に思っていたし、たくさんの人も私に対してそう思っている。私はそんな風に考えていた。
けれど、そこにいたのはたくさんの遠い存在の人ではなく、1人1人自分らしさをもった人だったのだ。

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きっと今までも私に興味を持ってくれていた人と出会っていた。ただ私が気づいていなかっただけ。気がつこうとしていなかっただけ。
でも、そのことを知ったこれからの私は違う。人に求められる自分らしさより、自分が心から思う自分らしさを大切にする。そして、私の周りにいる人、私に関心を持ってくれている人、そんな人たちにきちんと向き合う。
それが実現できたら、きっと私の人生は今より色鮮やかになると確信している。