「ただいま」
ドアを開けると、目に飛び込んでくるのは、右も左も本、本、本。学生時代の教科書に、積ん読したままのビジネス書、読みかけの小説がぎっしり。
うわぁ、と思いつつ前を向くと、真ん中に、視界をふさぐほど大きなベッド。その隙間に、こんもりと、服の山が3つ。
「カオス……」
毎日家に帰り、自分の部屋に入るたびに、ため息をつきたくなる。
◎ ◎
私は、片づけが苦手だ。28年間生きてきてこのかた、一度もきちんとできた記憶がない。
小学生の頃から、勉強をすれば教科書が散らかるのは当たり前。机に置けなくなったら、床に放り投げる。常に足の踏み場もないような部屋の中で、何かしら物を蹴飛ばしながら歩き回っていた。
転機が訪れたのは、中学生の頃。
「これ、全部いらないんじゃない?」
いつものごとく床に散らばった、学校のおたよりを眺めていて、ふと思った。スイッチが入ったら最後、止まらなかった。
目についたプリント(もちろん、いらない物に限るが)を、信じられないくらいバサバサ捨てまくった。夢中だった。
何だか、すっきりした。やればできるじゃん、私。
「もう二度と、散らかすもんか」
部屋を見回してそう誓ったのも束の間だった。数週間も経つと、なぜか新たなタワーが建っていた。
しかし、もうやる気は出なかった。片づけは習慣なのだ。その時私は、身をもって学んだ。そして、元通りになってしまった部屋で、それまでと変わらない時間が流れて行った。
◎ ◎
「モノを捨てはじめる前に、一度じっくり、片づけの目的を考えることに取り組んでみてください。これは『理想の暮らしを考える』とも言い換えられます」(『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵著、サンマーク出版、2011年、55ページ)
それは、衝撃的だった。
プリント片づけブームが去り、私は、高校生になった。教科書に埋もれながら勉強する生活にも慣れた頃、偶然本屋さんでこの本を手に取った。
「何これ、面白い」
片づけ本というものに、初めて出会った。目的があって、意識が変われば、誰でも片づけられるという。
読み進めて行くうちに、実践したくてたまらなくなった。
「理想の生活って、何だろう」
家に帰って考え始めたが、すぐに壁にぶち当たった。どれだけ考えても、漠然としている。そして、自信が持てない。
長いことピアノを習っていたので、何となく、
「音楽で生活できたら素敵だな」
と頭をよぎったけれど、一瞬で吹き飛んだ。ダメだ。今からでは、どう考えても不安だ。考えていくと、何もかもが不安になった。
そしてついに、逃げた。
部屋が汚いことすら不安で耐えられなくなった私は、考えることをやめた。本質をすっ飛ばして、勝手に物を捨て、手当たり次第に収納した。
「ふう、すっきり」
部屋はきれいになった。だが、目的はどこにもない。問題を先送りしたのだ。
◎ ◎
そんなやり方でうまく行くはずもなく、私は大学生になっても、教科書と講義資料の山に埋もれていた。心のどこかで、こんな自分を変えたいと思いながらも、時間はあっという間に過ぎてしまった。
「やっぱり、片づけたい」
社会人になる直前、一念発起した私は、一冊の本を買った。おしゃれさんの部屋のインテリアを片っ端から眺めて、理想の部屋を考えてみようと思ったのだ。
北欧風、ナチュラル、海っぽい部屋……。妄想は広がる。様々な部屋を見ていくうち、私は、木のぬくもりが好きなのかもしれないと気づいた。
よし。目指すは、昔懐かしいおばあちゃんの家のような、あたたかい部屋だ。
目指すところが決まったなら、後は行動あるのみ。
「洋服も、本も、全部出そう……って、全部!?」
そうか、全部出さないといけないんだ。そこで、私の手は、止まってしまった。考えただけで、辛い。1人では、できそうもない。
私は、挫折した。そして、社会人になった。
◎ ◎
それからというもの、仕事が休みのたびに、片づけのことを考える。しかし、体も心も疲れていて、どうしても動きたくないのだ。
どうせなら、その道の先生をお呼びして、お力を借りようとも思った。ただ、そのたびに、
「知らない人に会うなんて、緊張する」
と、ずぼらで面倒くさがりな私が顔を出す。
そうこうしているうちに、新型コロナウイルスが流行りだした。それまでにも増して、普段会わない人とは会いづらい世の中になってしまった。
そんなわけで、私は、まだ一度も、きちんと片づけをできていない。何ともったいないことをしたんだと、今になって後悔している。
こうなったら、気の済むまで考えよう。あたたかい部屋には、何があって、どんな幸せな暮らしをしているのだろう。誰かと一緒?それとも、おひとりさま?
大丈夫。次こそは、できる。やるんだ。今は、そう思いながら妄想する時間が、日々のささやかな楽しみだ。