わたしには過去に1つだけ、母に謝りたいことがある。

いじめの標的にされやすい子だったわたしは、何度転校してもいじめから抜け出すことができなかった。
唯一いじめられなかったのは、支援学校にいたときぐらいだと記憶している。

◎          ◎

「花いちもんめ」という遊びをご存知でしょうか?
Wikipediaに「こどもの遊びのひとつ。2組に分かれて、歌を歌いながら歩き、メンバーのやりとりをする」と書いてある通り、要らない人をもう1組に譲り合うゲームだ。
これをやる度に、何度組を行ったりきたりしたかわからない。
「お前は要らないんだよ」と突き付けられてるみたいで、子ども遊びのくせに残酷なゲームだと常々思っていた。
この世から失くなってしまえばいいと思うものの1つだ。

「ハンカチ落とし」という遊びをご存知でしょうか。
輪になって座り、気づかれないように誰か1人の後ろにハンカチを落とす。
落とされた人が気付いて落とした人を追いかけ追いつく、もしくは落とした人が落としたことに気づかせないで1周回れたら、勝ち。
その日、わたしは落とされた側で、落とされた場所はわたしの手からはるか遠く、50㎝ほど先だった。
明らかなルール違反だが、“落とされたのがわたしだから”そのことを責める人は誰もいなかった。

こういったつまらない遊びに、参加している方がマシだと思っていた。
けれどそのうち、疲れてしまった。

◎          ◎

みんなの輪から離れたところで、いじめが止むわけではない。
わたしを蹴るために追いかけてくる男がいて、女子トイレに逃げたら、休み時間が終わるチャイムが鳴っても彼は女子トイレの前から離れず、教室に戻れないときもあった。

教師はきっと、後で事情を説明したら、教室に戻らなかったことを責めないだろう。
今ならそう思うのに、真面目なわたしは早く教室に戻らなくてはいけない、それだけで頭がいっぱいだった。
わたしに「一発蹴らせろ」と言った彼に、大人しく一発蹴られて教室に戻り、大人しく先生に怒られたわたしは、どう考えても馬鹿だった。

整列をしたらランドセルを後ろから殴られたから、不思議でしょうがなかったわたしは、「なぜ殴るの?」と聞いてみた。返答は、「お前のランドセルを見ていると殴りたくなる」だった。
靴が無くなって上靴で帰ったら、翌日泥まみれになった靴が出てきたこともある。
毎日「死ね」とか「ブス」とか言われるのは当たり前だったし、目があったりすれ違う度に「なに~?」と言ってくる不可解な女もいた。

坊主にしている男の子を「ハゲハゲ」とみんなが言うのが不快で、それを止めさせようとしたら、教室中から笑われたこともある。
立っているときに椅子を引かれ、それに気づかず尻もちをついたことも、幾度となくあった。

◎          ◎

人が嫌がる行為をしたり、嘲笑って馬鹿にするのは、さぞかし気持ちがいいんだろうと思った。
「同じことをしてみたい」そんな衝動に駆られる度に抑えてきたが、どうしても抑えられない日があった。

その日、わたしは自宅で母の椅子をこっそり引いた。
当然、母は尻もちをついた。
その瞬間、肝が冷えた。お化け屋敷も怖くないし、ジェットコースターも大好きなわたしの、記憶にある限りたった一度、ゾッとした瞬間。文字通り息を呑んだ。
そのときまで知らなかったが、母は腰が悪い様だった。

その後、母にどの程度怒られたのか覚えていないけれど、そこまで酷く怒られなかったような気もする。
自責の念が強すぎて、怒られたことが飛んでいるだけかもしれない。
それぐらい、恐ろしく忘れられない出来事だった。

いじめている人の神経は尋常じゃない、とそのとき思った。
とてもじゃないけどわたしにはできないし、後味の悪さ、自責の念、後悔等が残る非常に不愉快な行為だった。

お母さん、あのときは本当にごめんなさい。
あのとき以外、口に出して謝ったことはないけれど、あれからずっと反省し続けています。