その日、私は怒りに震えていた。しかし、一体自分がどこまで怒りをあらわにしていいのかわからない。

私が社会人数年目の時、長年お付き合いをしていた彼の就職先が海外に決まり、それを機に結婚して駐在先について行くことになった。
駐在妻。人によっては華やかな響きだろうか。閉塞したドロドロとした印象かもしれない。
かくいう私もこれまで海外に住んだ経験は無く、駐在妻へのイメージは妄想の中で膨らむばかりであった。
しかし、住んでみると素晴らしい人々に恵まれた。非英語圏で生活しづらいため、日本人同士助け合って生きる温かさがあった。家族の都合で突然海外に住むことになった、現地語のできない人々。それでも日本食の食材を揃え、外国人として医療にかかり、現地の学校やママ友とやり取りをする。フットワークが軽く、その土地で生き抜く力強さを持つ人が多かった。私は駐在妻への印象が変わるとともに、良い刺激を受けた。

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しかし、そうした明るい日々は続かないものである。駐在妻会の幹事が回ってきたのだ。
幹事の打診を受けたのは、同じマンションに住む夫の会社の先輩の奥様だった。行事の運営、駐在員の把握などをするそうだが、「行事は年に一度だけ。ほとんど何もすること無い」「幹事は持ち回りで次の順番はあなた」と言われ、妊娠を伝え、それでもできるならと引き受けた。

引き継ぎ当日。幹事になる数人と、前年度幹事数人が対面した。当然、私に幹事をお願いした奥様もいた。
まずは会の規則の読み合わせが始まる。規則まであるのか、なんだか気を遣いそうだと思ったのも束の間、「妊娠出産の都合がある者は幹事をパスして良い」という規則が、当の奥様から読み上げられた。
私は椅子から転げ落ちそうになった。妊娠報告もしたのに、そんな話は微塵も出てこなかったからだ。それでも彼女は平然と規則を読み続けている。
こちらへの説明はおろか、申し訳無さも感謝も無い。何で?と疑問が湧く。しかし、粛々とした空気の中で声をあげるのは躊躇われ、後ほどお話しすることにした。
その後に具体的な仕事内容を話された。毎回の会議の議事録から上席の夫人への説明など様々な配慮と段取りがあり、思ったより大変そうだ。何より、行事の開催が私の出産予定日の翌月であり、開催前には下見やお店とのやり取りもある。このままだと臨月や新生児育児の時にも働き詰めだ。全容が明かされるにつれ、怒りが湧いてきた。

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ふとその奥様がこちらに目を向けた。私は思わずドキリとした。何を言われるかと思えば、「あなたは下っ端なので、上席の奥様への説明は私が一緒にやります」と言われた。
確かに私が一番若く、夫も新卒新人だったが、下っ端とはっきり言われるなんて開いた口が塞がらなかった。
難しいのは、彼女は夫の先輩の奥様という点である。夫に余計な被害が行くのは避けたい。狭い日本人コミュニティで波風立てたくない。言いたいことは山ほどあったが、冷静になるのが賢明だ。
まずはお話したい旨を伝えて、後ほどメッセージでやりとりしよう。そう思い、引き継ぎが終わると彼女のもとへ向かった。すると、「この後予定がありますのでこれで」と、私と反対方向にスタスタ歩いてしまった。
なんだあれ!酷すぎる!怒りをメッセージの下書きに落とし、何度も修正をする。こんな時、何も考えずズバッと言える強い人でありたいと思う。それでも私は、この国で生きていくために安全策を取った。
文章で、臨月〜産後直後の時期が一番忙しくなることを先に教えてほしかったこと、幹事をパスできる規則も教えてほしかったこと、今からでも可能ならパスしたいことを伝えた。

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返信は単純だった。
「先に幹事を引き受けてくれたから規則を説明しなくていいと思った」「臨月や産後で大変なら他の幹事に仕事を任せればいい」「引き受けた以上パスはできない」と。
私も責任放棄はしたくなかった。しかし予定に無理がありすぎる。何より、出産時期への配慮がないどころか、失礼なことを言われたことに無性に腹が立った。
何度かやり取りしても、のらりくらりと返事が来る。お腹が張ってきた。しかし、不幸中の幸いか、当時はすでにコロナウイルスが流行しており、会の開催もほぼ不可能というのが大方の見方だった。
中止と決まればやることも少ない。引き受けた上で早めに中止の方向で動こう。そう私は心に決めて、これ以上やり取りするのをやめた。
行事を中止するにしても上席の奥様への説明もあるので時間は取られ、何度も「こんな時にどうして」と怒り狂いそうになる。例の奥様から失礼な態度を取られることが続き、悶々とした。しかし、引き受けたのも自分。気持ちに蓋をして日々を過ごした。

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気持ちに蓋をすることと、自分の気持ちが消えることは同義ではない。どこかでガス抜きをしないと、蓋をした内部で溜まったガスが爆発してしまう。
私はついに爆発した。出血し、しばらく胎動を感じなくなったのだ。
慌てて病院に電話をする。お腹の子に何かあったらどうしよう。まだ見ぬ子との将来を想像し、こんなに待ち望んでいるのに耐えられない。そしてあの人も許せない。病室で大きな音を出してもらいながら、必死に名前を呼ぶ。モニターを見つめる。これを繰り返す。
しばらくして、と言っても体感は永遠だったが、やっと胎動が確認でき、異常が無いことがわかったときには、膝から崩れ落ちるくらい安心した。
その後は無事に出産し、育児に追われるようになった。コロナ禍で海外出産は大変だったが、夫をはじめ、人の支えを受けて乗りきった。あっという間に帰国日となり、例の奥様には思いをぶつけることができずに帰国した。

もう会うこともないだろうあの人。産前産後の恨みは一生というが、私はその人にその恨みを持った。雑な扱いを受けたことが悔しかった。しかし根本的には、失礼や嫌味を受けても何もできなかった自分、夫頼みの暮らしで力のなかった自分が一番悔しい。
いつかリベンジできるなら、その人の前で自信と笑顔に溢れていたい。彼女の失礼を大声で笑い飛ばし、まだそんなことやっているんですかと言いたい。
堂々と笑い飛ばせるくらい内面とキャリアに磨きをかけることが、私の目標だ。