ある、クリスマスの思い出の話をしようと思う。

わたしの実家は、わたしが小学校に在籍していた6年間のうち、その前半で引っ越しをしているのだが、引っ越しをする前の家で過ごしたクリスマスの話である。
雪がよく降る地域だった。
その日ももれなく雪が降っていたと思う。

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サンタクロースという存在を、無垢に信じていた頃だ。
そのクリスマス、弟はサンタクロースから、おもちゃのバイクをもらっていた。
おもちゃのバイクと言っても、トミカのような手で持って遊ぶ大きさのものではなく、12インチくらいある、それくらいの年齢の子供が実際に乗って遊ぶことができるくらいの大きさのものだった。
幼い身体に対して等身大で届いたプレゼントは、とても大きく輝いて見えた。
実際に開けてみても、ちょうど乗って遊べる大きさなだけあって、感動したような覚えがある。

それだけ大きくて魅力的なプレゼントではあったのだが、わたしたちは、そのバイクを取り囲んでいた発泡スチロールの緩衝材の方が、より魅力的に写ってしまった。
その発泡スチロールは、手で強く握ると、簡単に崩れて小さな粒になるものであった。
今、この歳でその緩衝材に包まれた荷物が届くと、「うわあ、ぽろぽろして嫌だな。掃除するのが大変だ」と思うくらいには使わないで欲しいと思う素材である。
だが、その時のわたしは、別のものに思えたのである。

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そして幼い姉弟は、もらったプレゼントそっちのけで、その発泡スチロールを全て、崩して、粉々の粒々にした。
そしてわたしたちはそれを両手で掬い取って、頭上に投げた。
何度も投げた。
「雪だ〜」と言いながら大いにはしゃいだ。
次の瞬間、その部屋と隣の部屋とを仕切っていた戸が、開いた。

「なにしてるの!」
と、飛んできた母親の声まで鮮明である。
もれなく酷く怒られて、片付けが終わるまでこの部屋には入ることがないように命じられた。
そりゃあ、怒るよね。
今だったら、それを見た母親の気持ちが、手にとるようにわかる。
「なにしてるの!」と大きめの声で言った怒りと、その後この惨劇の始末を想像して、呆れ返る気持ち。
この片付けどれくらい時間がかかるだろうと、途方に暮れる気持ち。
そして、それをあまりにも楽しそうにはしゃいでいた子どもたちに、怒ろうにも怒れない気持ち。
それを、盛大なため息として吐き出してしまう姿まで。

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クリスマスの思い出も、クリスマスプレゼントの思い出も、生きてきた年数分あって、それぞれ覚えているものも多いけれど、この雪の魔法にかけられたクリスマスだけは、怒られたことまでを含めて、記憶の中でキラキラと反射して輝いている。

それだけ記憶に残ったクリスマス。
それなのに、わたしはその年のクリスマスにどんなプレゼントをもらったのか、全く記憶にない。
それだけ、発泡スチロールの雪が印象的すぎたのだ。
あまりにも強烈すぎる思い出の雪、もとい、発泡スチロール。
わたしが覚えている限り1番古い、ホワイトクリスマスの思い出の話。