適切な距離感というものは難しい。常に変わっていくからだ。
この距離感が最善だ、という決まりきった正解は存在せず、心地よい状態をいつも探し続けるしかないんじゃないか、と私は思う。
実家に住んでいた時、大人になるにつれて一人暮らしへの憧れは深くなった。
決して家族が嫌いになったわけではない。
ただ、大人へと成長していたのだ。
自分で自分の生活をコントロールし、自分の生活の責任を自分で持ってみたかったんだと思う。
完全な親の保護下で生かされていた子供時代が終わり、生活力を磨いたり、経済的に強くなって自分の人生を切り拓きたかったのだ。
そうして私は生まれ育った実家を出た。
◎ ◎
実家を出て、恋人と同棲を始めた時、陳腐にも「自由になれた」と思った。
これからはこの生活のオーナーは私自身だぞ、と。
自分の生活をコントロール出来る上に、好きな人と協力して一人でいるよりもっと楽しく生きていけるのだ、と思っていた。
一人より幸せな、恵まれたことなのだと手放しに思っていたのだ。
でも、恋人が晴れて夫婦になった時、生活には違和感が付きまとった。
恋人には終わりが来る可能性があるが、夫婦にはなかなか終わりが来ないと、その頃の私たちは思いこんでいたことがおおいに影響していたのだろう。
夫婦になっても自由で、ひとり時間を忘れず、友達のような最高のパートナーでいようと約束した。
その安心感と信頼の上にあぐらをかいたのだろうか。
夫婦になっても、それぞれの個人的な時間や友達との交友関係を楽しむことを忘れず、それぞれの時間を楽しむ中で、次第に夜帰るのが遅くなる時も連絡を欠いた。
家事をしても感謝の言葉は無くなっていった。
都合のいいところで癒着したり依存したりして、お互いがリスペクトや思いやりの気持ちを忘れていった。
その他にも理由はごまんとあるが、結果私たちの結婚生活は終わってしまった。
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その分、一人暮らしは気楽だ。そして何よりとても楽しい。
誰の帰りを待つこともなく、誰の都合に合わせることもなく、空気を読んだり、喧嘩したりすることもない。
洗い物が自分の想像以上に増えることも、自分が原因ではないことで物が壊れることもないし、ご飯のメニューはいつだって自分の好きなものに決まっている。
一人暮らしは、私にとっては非常に楽しい思い出だ。誰かに違和感を感じさせられることも、ふとしたすれ違いで疑問を持つことも、誰かと生活するより少ないからだ。
しかしそれは、人間関係から学びを得るチャンスが少ない、ということと同義だと思う。
つまり何が言いたいかと言うと、生活スタイルがどうであれ、他人との距離感を、いつも自分自身が手綱を持って調節する必要がある、ということだ。
誰かと暮らすということはストレスは増えるが、それだけ学びの機会が増えることだし、一人で暮らすということはストレスは感じにくくはなるが、それだけ学びの機会を得づらい、ということだと私は思う。
物事は一長一短だ。だからこそ、人生の様々なフェーズで生活スタイルを変えることの出来る勇気を持っていたい、と強く思う。