今から20年ほど前のこと。私は母の化粧台を壊した。
当時母が使っていた化粧台は、ドレッサーのような、鏡と机と椅子がセットになっているものではない。木で出来ている簡易的なもので、フタを開けると鏡が付いているメイク道具箱のようなものだった。
小さめのボックスで、幼少期の私の体重では、一瞬だけ乗ってみても壊れなかったことから、たまに踏み台として使ったことがあった。

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しかし、自分の成長と年数による劣化は、決定的な瞬間を招く。
その化粧台は、数年間使い続けていたため、少々ガタが来ていた。ところどころ割れた木があり、フタの開閉もぎこちない。黒色に塗られた塗料も剥がれかけており、長年使ってきたことが一目瞭然だった。
私自身もすくすくと成長したため、身長も体重も順調に大きくなった。子どもの成長は、数ヶ月で劇的に変わるものだ。太ってまんまる、とまではいかなかったが、身長が伸びれば比例して体重も増えていく。化粧台に乗っても壊れなかったときより、当然体重は重くなっていた。
母が大切に使っている化粧台であることを知りながらも、自分の便利道具だという認識は変わらなかった当時の私。少し高いところに手を伸ばそうとして、再び母の化粧台に登った。

バキッ

嫌な音がした。慌てて降りて、化粧台を確認してみると、フタ部分が壊れて陥没していた。明らかに今までと同じように鏡として使える状態ではない。
どうしよう。母の使っている化粧台を壊してしまった。焦りと冷や汗で身動きが取れなくなる。
なんとかもとに戻せないかと少し触ってみると、見た目だけはもとに戻すことが出来た。このまましのげないだろうか、そんなズルい思いを隠し持ったままやり過ごそうとした。

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数時間が経ったとき、母が化粧台を開き、作業をした。壊れていることに気づいた母は、家族に、知らないか、と聞いた。誰にも言わないから後で言いに来てくれたら良いよ、と付け加えて。
子どもながらにサーッと背筋がひんやりする感覚を覚え、もう隠しきれないのだと悟った私は、母がひとりでいるときを見計らって母に話しかけた。
耳元で小さな声で、母にだけ聞こえるように、ごめんなさい、と。
母は、いいよ、と許してくれた。

今思えば、母は、私が母の化粧台を踏み台として使っていたことを知っていたのだと思う。そのたびに、自分の化粧台が壊れないかとヒヤヒヤとしながら、私をみていたのかもしれない。化粧台が壊れたことに気づいたあの瞬間、私の仕業だとすぐに気づいたのだろう。
後で言いに来てくれたら良いよ、と言ったのは、私に宛てたメッセージだったと確信が持てるくらいピンポイントなメッセージだった。

壊れた化粧台は、ゴミとして回収されるまでしばらくの間、洗面所の端に他のガラクタとともに置かれていた。私はそれを見るたびに、これは私が壊したから使えなくなったのだと妙に罪悪感と懺悔の気持ちに苛まれたのを覚えている。

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母が笑顔で許してくれたおかげで、一生の傷になるほどの罪の意識を負わずに済んだが、自分の体重がおもったよりも負荷になっていたことを自覚した。母にちゃんと謝らなければいけないと覚悟を決めた出来事であることは、鮮明に記憶している。

大人になって、エピソードとしては覚えているものの、情景描写としてはおぼろげな抽象画くらいの記憶だ。それでも、当時感じた、ごめんなさいを絶対に言わなければいけない空気感は忘れることはない。

この事件以降、母の化粧台は新しいものへ変わった。メイク道具箱になり、持ち運びができる革のボックスタイプに変わった。大きさも、かなり大きくなった。
木枠よりはもちろん強度は弱い。私も踏み台にすることはなくなったが、そのメイク箱は、破損を繰り返しながらも10年以上使われることとなった。
ぼろぼろになった現在のメイク箱を見たとき、母が大切に長く使うはずのものを壊してしまったのだと、子どもの頃に犯した罪の重さは改めて重たいものであったと実感した。

物持ちよく、大切に使っていた化粧台を壊してしまい、あの時は本当にごめんなさい。
今となっては私だけが覚えている過ちかもしれないが、ちゃんと、自分の言葉でもう一度謝りたかった。幼少期の好奇心が起こした、あの時のことを。