失敗という言葉を聞いて、どのようなイメージを持つだろう。色で言えば青、いや紺色のようなところではないだろうか。

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私の家庭は失敗を悪とする。テストでは90点以上を取るのが当たり前。それ以下だと「なんでなの?」と理由を聞かれる。もちろんこれという理由なんてものはなく、ただの凡ミスか、知識不足。習い事のスイミングでは、ベストが出ないと帰り道の車の中は最悪だ。

クロールですら泳げるか怪しい親から背泳ぎの泳ぎ方の注意。私はいつも寝たふりをしてその場をしのいでいた。習い事の算盤では大会に出ると、読上算等で優勝しても褒めてはくれない。総合優勝をしないと意味がないらしい。

そんなこんなで私は完璧主義だった、というよりかはならざる得なかった。小さい頃はやっぱり親から褒められたかったからだ。周りの親戚や友達からもすごいと言われることによってさらにそれを加速させていた。

ただ私の場合、全てを完璧にしたいという気持ちよりも、失敗したくないという気持ちが大きかった。失敗したら怒られる、結果を残さないと誰も喜ばない、そんな気持ちを抱えながら小学生のときを過ごしていた。

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小学校6年生ぐらいだった気がする。そんな自分にも疲れてきた。その時くらいから失敗をしない方法を考えるようになった。
それは失敗しないように頑張ることや、失敗しないように違う方法で行うとかそんなことではない。失敗はどこから生まれるのか。そもそも失敗をすることをしなければいいのではないかとか。その時にたどり着いた答えはこうだった。

「周りの期待値を下げる」
周りの期待値を下げることで、失敗しないことに気がついた。期待よりも低い結果が出るからこそそれが失敗となり、周りから負の言葉を言われる。

「失敗=周りの期待ー自分の結果」。例えば自分の結果が3だとすると、期待が8だった場合、5の失敗が生まれる。しかし期待が2だった場合はどうだろう。ー1となり、むしろ成功に変わる。

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私は失敗をしない人生を歩みたいと思った。失敗を生み出さない人生。それを作り上げるのにはまず周りの意識を変えなければいけない。
ただ私は小学校の7割が同じ中学校に行くので、自分へのイメージは変えにくいと思った。変えるなら高校だった。それには親が納得し、きちんと期待通りの学校に行ったんだから高校からは自由にしていいよねという権利を得る必要があった。だから進学校に進学した。

それからは私の作戦通りだった。テストでは学年最下位をとり、最初は親も怒っていたものの、周りが賢すぎると言い訳をし、徐々に慣れていってもらった。そして期待は自分が頑張ることで生まれることもわかっていた。だから何かを頑張ったりすることもやめた。
そうすると自然に周りの期待が消えていった。最終的に私に期待をしていたのは認知症になったおじいちゃんだけだった。昔の私のイメージのままなのだろう。

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私はそのまま大学、社会人となり、失敗という失敗をしないように生きてきた。正直すごく楽だった。
ただ最近こんなことを思い始めた。今のままでいいんだろうか、失敗を恐れてやりたいこともしないまま、失敗を生み出さない人生でいいのだろうか。

私の答えはNOだった。自分が本当にしたいことをしないことも、ある種の失敗だと思った。
だからこそ私はどれだけ失敗しそうなことが起ころうとも、まず自分のやりたいことから考えようと思う。
失敗を受け入れることができるようになったこと、それは私の成功である。