「あの子がミス?まじウケる!」
「わか?そんな子いたっけ?(笑)」
自分の成長の一つとして、地元のミスコンに出場した。そしてありがたいことにミスに選ばれた。

そんな時に書かれたTwitterの内容だった。そのコメントにいいねも押されていた。名前は分からなかったが、明らかに中高時代の同級生だった。
ミスに選ばれたことを機にTwitterを始めようと、アカウントを作ったばかりの出来事だった。
「ミスだけにミスだったか」と掛詞を、天を仰ぎながら呟いた。

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中高生時代の私は地味で真面目な学校生活を送っていた。明るく元気なタイプは自分の性に合わず、基本的には静かな人だけと付き合っていた。穏やかに過ごすことができればいいと思っていた。それが争いごとから逃れられる手段の一つだとも思っていた。
しかし結果がこれだ。誰にも言わずにひっそりとミスコンに出場したのに、Twitterを始めただけでこんなことになってしまう。

オシャレに疎く、学生時代の地味な生活から脱却しようと前に踏み出した一歩は、Twitterでの心ない言葉で終わった。私には言わずにコソコソとSNSで発信されることに恐怖を覚えた。
それからは、Twitterをほとんど活用しなくなった。自分の中で満足できれば良いと思うようにした。

しかし、ミスに選ばれたメンバーの集まりでは「Twitterで宣伝しよう」「Instagramに写真をあげよう」「Facebookに撮影の日を載せよう」と話が進む。どれもほとんど活用していない私は一人、置いてけぼりになった。

ダメだ。逃れられない。今はSNSをやっていない方が穏やかに過ごせない。そのため、アカウントを作るところまで行い、自分での発信を控えた。何のためのSNSか自分でもよくわからなくなっていった。

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SNSの発信を控えていたが、アカウントがあるのだからと少し撮影会の写真をあげていくことにした。すると、いいねやコメントをもらえた。
嬉しかった。知らない人が私を見てくれている。そしてそれを評価してくれる人がいる。何とも心地よかった。なるほど、SNSにはこういう喜びがあるんだと知った。
たくさんの人に認知されたら、いいねやコメントの数が増える。そうなれば嬉しい。でもフォロワーが増えることで非難される数も増える。比例の関係だ。

SNSでたくさんの人と繋がりたいと思う一方で、自分を非難されることが怖く、踏み切れない自分がいる。ミスに選ばれた時に、名前を明かさない同級生であろう人の書き込みが今も頭の中に残る。複雑な心境だった。

エッセイを書くようになって再び始めたTwitter。
たった100字以内の内容を書くだけで、ヒヤヒヤする。
自慢みたいに聞こえるかもしれない。こういう言葉は非難されるかもしれない。暗い内容を書くと、読み手も暗い気分になってしまうかもしれない。
Twitterのコメントや投稿一つで迷いが生じる。

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きっと毎日のようにTwitterやInstagramを投稿している人はそんなことほとんど気にしていないし、こんな風に気にする私は自意識過剰の恥ずかしい人なのかもしれない。こんなことで悩む自分がちっぽけで情けなくなる。

でもSNSだから、自分の名前を明かさないのだからと、平気で誰かを非難する書き込みをする人よりかはずっといいと思う。
周りを傷つけるような言葉を使ったり、自分の意見を押し付けようとしたりするのは違う。

私のようにたった一言の言葉が、そしてその非難する言葉にいいねが押されていることがどれだけ人を傷つけてしまうか。発信した人は軽い気持ちなんだと思う。もう忘れていることだと思う。でも私は、5年経った今でも覚えている。
だから私は、少しずつSNSをうまく活用できる人になりたい。一つひとつ言葉を選びながら。