人生で「ごめんなさい」を言った経験が、とても少ない……気がする。
「あの時、謝るべきだったのにな」「あの時は悪いことをした、自分が恥ずかしい」等々、言えなかった謝罪のことはたくさん思いつくのに、実際に「ごめんなさい」と言った記憶がほとんどない。
言わないで済むように、「ちゃっかり」人生を過ごしてきたんだなあと改めて思う。
そう、私は二人きょうだいの第二子、兄のいる妹、小憎らしい末っ子、他の家庭の多くの「第二子」と同じく、幼い頃から「ちゃっかり」を会得している子だった。だってそれが第二子の生存戦略だから。
難しいことは、お兄ちゃんに先にやってもらう。お願いや要望は、あけすけに言う。ケンカして負けそうになったら、泣き出す。泣き出してしまえば、「ごめんなさい」が泣き声に紛れて届かなくても、なんとなくうやむやにできた。

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思えば幼稚園児の頃から、素直に「ごめんなさい」が言えない子だった。言えないばかりか、自分の犯した失態を隠蔽しようとする、とても良くない傾向があった。

兄が小学校3年生の時、私は4歳だった。
夏のはじめ、林間学校から帰ってきた兄は嬉しそうに、スティックのりと同じくらいのサイズの、小型扇風機をお土産に買ってきて、両親に嬉しそうに報告していた。電源を入れると、小さな黒いビニールの羽根が高速で回転して、ブゥーンと唸りを上げた。正直、令和の今普及しているような小型扇風機ほど涼しくもない、どちらかというとおもちゃの要素が強いものだったけれど、紫と緑のスケルトンが組み合わさったボディは、子供心にとてもかっこよく見えた。

兄はその扇風機を棚の上に置いて、どこかに行った。両親もその間どこかに行ったのだろう、私は居間にひとりになった。
あの扇風機、私もいじりたい。そう思った私は背伸びして無理に手を伸ばし、棚上の扇風機を掴んだのも束の間、扇風機は私の手から滑り落ちて床に墜落した。記憶が曖昧だが、きっと大きい音がしたはずだ。コイルが飛び出て、外板が外れ、何が何だかよくわからないが、気がつけば眼下にバラバラになった扇風機の部品どもが散らばっていた。「砕け散った」という印象だった。

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「ヤバい」
4歳の脳みそでも、兄があんなに嬉しそうに親に見せていた、もしかしたら買ってから数時間も経っていない新品ほやほやのお土産を、帰宅後ものの十数分で壊してしまったことのヤバさは本能的に察知できた。
私は部品をかき集め、とりあえず居間を出た。焦っていた。これを隠さなければ、という思いだけで頭の中は占められていた。この時点で「素直に話して謝って許してもらおう」と1ミリたりとも発想していないのが恐ろしい。

家中をさまよい、和室のタンスの中に扇風機だったものどもを押し込むことにした。その時は、自分の行いとその証拠を、一時的に見えない場所に放り込むだけで精いっぱいだった。
それでも、ここに隠したところで、扇風機が棚の上からなくなっていることにはいつか気づかれる、いつまでも隠し通せる訳がないことも、頭のどこかでわかっていた。
どうしよう。どうしよう。とぐるぐるしている間に、いつのまにか居間に戻っていた親が、ついに私の名前を呼んだ。
「○○?」

ああ、終わった。絶対に何か言われる。隠さなきゃ。でもどうやって?わからない。何も知らないフリをしないと。今は返事をして、親の前に出て行くんだ。そして嘘をつこう。
和室から居間に移動する間に算段し、親の前に出て笑顔で「なあに?」と返事をした私だったが、罪の意識に耐えきれず、顔面から涙と鼻水をぼたぼた垂らしていたため、「ほら、やっぱり○○だった(笑)」と私の悪行は一瞬でバレた。

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この話で一番可哀想なのは泣いている私ではなく、お土産を持ち帰った途端、ぶっ壊された兄である。というか、兄もこの後泣いていたと思う。申し訳ない。泣いている兄を見て、罪の重さをますます感じた私は、兄を差し置いていっそう泣いた。勝手なやつ。しかし肝心の、謝った記憶がない。
自分の失敗を取り繕おうとする小賢しさ、でも一瞬でバレる害のなさ、怒られる前にもう泣いている気の小ささ、そして結局謝らないところまで、末っ子の「ちゃっかり」が詰まった思い出である。
しかも、「泣くくらい罪悪感を感じているんだから、許してよ」と心の底で開き直っている部分さえある。面の皮が厚い。

大事なお土産を壊しちゃってごめんね。あの時、どう思ってたの?
お互い年老いて死ぬ前に、兄には居酒屋なんかでお酒を酌み交わしながら、この思い出について謝りたいものだ。ただもしそれが実現しても、お勘定は喜んで兄にお任せするつもり。
私は大人になっても、ちゃっかりした妹である。