毎年、季節が秋から冬へと向かう中で、街が電飾で彩られ、世間が浮ついてくるといつも考える。
人は、どのタイミングでサンタクロースはいないと知るのだろう。

サンタクロースの正体を知った私は、泣きながら母に恨み言を言った

サンタクロースの正体が両親であることを知ったのは、小学校5年生の時だった。
天地がひっくり返るとは、まさにあの事だった。11月の下旬からすでにクリスマスが楽しみで、あと何日でサンタクロースが来てくれるのかと、毎年カレンダーにカウントダウンを書き込んでいた。この時期の両親の口癖は「そんなにわがまま言ってると、サンタさん来てくれないよ」だ。
効果は抜群だった。わがままばかりだった幼い私も、この言葉ですぐにおとなしくなった。すべてはサンタクロースからプレゼントをもらうため。

だから、本当に、その事実を知らされた時は衝撃だった。手紙だって書いて返事をもらっていたし、その何年か前には、サンタクロースのサインを自由帳に書いてもらったのに(今思うとあれは間違いなく母の筆跡だった)。

それらはすべて、両親がやっていたことだったなんて。
裏切られた、と即座に思った。嘘を吐かれていた、とも。
ずっと信じていたものが全て嘘だと分かって、幼い私はリビングの炬燵の中でべそべそと泣いた。ほとんど癇癪を起していたとも言っていい。
何度も「ごめんね」と謝る母に「ひどい」やら「嘘ついてたなんて」やらと恨み言を言い続ける幼い私に、ずっと静観していた父は言った。

「じゃあ、最初からサンタクロースはいないって言えばよかったのか?」
私は何も言えなくなった。だって、正論だ。間違いなく、ぐうの音もでないほどの。両親がサンタクロースを演じていたのは、娘に喜んで欲しかったからだ。
だからと言って、傷心中の小学生の娘にそんな正論をぶつけることはないだろう、と今では思う。

一年の中で一番誕生日が多い日はいつだと思う?と尋ねられ…

「一年の中で、一番誕生日が多い日っていつだと思う?」
先日、幼馴染にそう聞かれた。久しぶりに二人で少し遠出をしていて、目星をつけていた飲食店で順番待ちをしている時のことだった。
「え、いつだろう」という私に、幼馴染はもったいぶることはせず、割と簡単に答えを告げた。

「クリスマスなんだって」
聞いた途端に、なるほどと思って、それをそのまま口にした。
「年内に済ませたいと」
「そういうこと」
クリスマスの一週間後は元日だ。出産という一大行事を年内に済ませ、そのまま正月に帰省する。その流れで、実家や親戚へのご挨拶を……ということだろう。確かに理にかなっている。薬を使って計画的に出産日を決めることもできるらしいし、過去にもそんな話を聞いたことがある。世の女性たちはそんなことまで考えているのか、大変だなあ、と完全に他人事として考えた。

「だから、のはるのお姉さんの出産日も、クリスマスになるかもね」
「ああ……なんか計画分娩するってきいたな……この場合、やっぱり甥っ子のクリスマスと誕生日のプレゼントは一緒にされんのかな」
「そこはお姉さんたちの教育方針によるんじゃない?」
そうこう話している間に、私たちは店内へと案内された。久しぶりの外食に浮かれて、その後は他愛もない会話をし続けた。

サンタクロースがいるのは、両親が「愛」を持って接してくれた証

年末に、甥が産まれる。姉夫婦にとって、そして両家にとっても、待望の第一子となる。
出産し退院した後、姉はその足で実家に帰省し療養する。一ヶ月ほどはいるとのことで、しばらくの間うちは賑やかな生活を送ることになる。

家では、姉と甥を迎えるための準備が着実に進められている。ベビーベッドやらおむつ処理機やらが積み上げられるに伴って、両親はそわそわしている。
父なんて、男の子向けの玩具のCMを見ながら「こういうのを欲しがるんだろうなあ」と口元に笑みを浮かべていた。無口で無愛想がトレードマークの、あの父が。幼い私に「じゃあ、最初からサンタクロースはいないって言えばよかったのか?」と言った、あの父が。
母は「まだ産まれてないのに、もう“お祖父ちゃん”気分になっている」とそれを笑っていたが、母だってすでに“お祖母ちゃん”気分だ。姉への出産祝いを嬉しそうに買ってきた時の姿を、ぜひとも鏡で見せてやりたい。

そんな両親の姿を見ながら、私は心の中で、まだ産まれていない甥に語りかける。
いつか必ず、君もサンタクロースの正体を知る日がくるだろう。すんなりと受け入れるかもしれないし、私のように泣きじゃくるかもしれない。
でもそこには、君の喜ぶ姿がみたいという君の両親の想いがある。それは絶対にだ。私が保証をしよう。姉夫婦は、全力で君を守って愛するし、私たち家族もそれは同じだ。
だから安心して産まれておいで。
君の人生が豊かで尊いものになることを祈っている、と。