もし、明日父親が亡くなるとしたら何をしてあげて、そして何をしてもらいたいですか?
両親の命の終わりを考え出したのは、父が体調を崩した去年の夏。まだ還暦を迎えたばかりで、平均寿命まではまだ遠いものの、なんとなく、本当になんとなく、あぁこうやって人間は弱くなっていくのだと感じた。
出来る限り両親と過ごす時間を作り、自分が後悔しないようにしている
その頃から、出来る限り両親と共に過ごす時間を作り、自分自身も後悔しないよう、いつかみんなで食べに行きたいねと言っていたフグ料理に家族を招待したり、父が欲しいと言っていた洋服を買ったり、いちご狩りに行きたいと言った母の為に計画を練ったり、小さなことから大きなことまで叶えようと動いた。
海外旅行など、現実的にできないことを除いては、叶えてほしいと言ったことも、自分が叶えたいことも満足いく程度にやった。それでも一つ、口にすら出せないことがある。それは、父に「ぎゅっと抱きしめてほしい」というお願いだ。
保育士をしている母は、誰に対しても温もりを与える人で、頭を撫でたり、手を握ったり、意味もなく抱きついたり。それは大きくなった娘にも変わらず、今も実家に帰れば身体的にも母の温もりを感じることができる。
孫が生まれ楽しそうにあやす父を見て、自分の子供の頃を重ねて見た
反して、父は寡黙な人で、必要以上に話すこともなければ、母のようにスキンシップを取ることもなかった。それでも父の愛情はきちんと理解していたし、そういう人なのだと私の中では認識していた。仕事が忙しかった父は、あまり家におらず、いつも3人行動だった為、私と姉は「母だけに育てられた」と言っていた。
そんな認識が変わったのは、甥っ子が生まれた後のこと。初めて触る赤ちゃんという生き物に対し、恐る恐る手を伸ばす私に対して、父は非常に慣れていた。まだ座らない首を上手に支え、泣き喚く自分の孫を楽しそうにあやす。ミルクをあげるのもお手の物で、オムツだって手際よく替えてしまう。そんな姿に自分が赤ちゃんだった頃を重ね、涙が出そうになった。
きっと、私もこうして父に抱かれていたのだ。父は姉のことも私のことも、こうやって面倒を見てきたのだろう。だからこそ、こんな慣れた手つきで3人目の赤ちゃんを扱うのだろう。私もちゃんと父の温もりを感じながら育ってきたはずなのだ。
大人になって、父に「ハグしよう」と簡単には言えないけど…
そうはいっても、私の記憶には父の記憶が存在しない。そんなことを考えると、父の温もりを全力で受けている甥っ子を見て、少し羨ましいなとも思ったりもする。
彼氏や友達に「ハグしよう」というのは簡単なのに、この歳になって父にそんな言葉は簡単には言えない。気恥ずかしいという思いと、ハグした後にどんな顔して父の顔を見ればいいのか分からなくなりそうだという思いと。そんなこんなで心の中で押し問答しながらも、時間は着々と過ぎていく。
いつになるかはわからないが、いつか父にその時が来て、父の温もりを感じることができなくなる前に、勇気を出して父に「抱きしめて」と、伝えることが出来ればと思う。