一言言わせてくれ。
グループホームを“一人暮らし”と勘違いしている人はいないかい?
グループホームは一人暮らしじゃないんだよ。
共・同・生・活!!

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「障害を持っている僕、私でも一人暮らし出来る場所見つかった!やったぁー!今日から僕、私も一人暮らしだ!自由だ!」
と喜ぶ気持ちもよくわかる。
現に私も当時そうだったし、入ってきた方もみんな最初はそう思っていたみたい(と感じる)。

「でも実家ではこうだったから」
「実家ではなくて、ここグループホームだから」
「……でも実家ではこうだったから」
「実家ではなくここ、グループホームだから」
月一のミーティングで繰り広げられたこの会話が、今でも印象的で頭に残っている
まるでグループホームの風刺画のようだ。

グループホームではね、ある程度新しく入ってくる人の最低限の情報が入ってきたり、体験入居で顔を少し会わせることはあっても、ほぼ見知らぬ赤の他人と「はい、この方が今日から新しく入る○○さんです よろしくお願いします」と、ある日いきなり共同生活が始まるんだよ。
しかも真隣で!
その心構えが、あなたには出来ているかい?

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職員さんは、お父さんやお母さんじゃないんだよ。
職員さんはあくまで職員さんなんだよ。
あなたがどれだけ悲しくても、心が痛くても、夜中に電話をかけたくても、何時間も話を聞いてほしくても、誰かにすがりたくても、胸が痛くても、定時になればみんな帰らなければならない。

これは決してあなたに対して冷たい態度をとっているのではなくて、業務だから。
仕事ってそういうものだから。
逆に言えば業務内の内容や時間ならちゃんと対応してくれるんだ(ちゃんと心の中ではあなたを家族と思ってるよ。でも、“職員”という立場上、そう接しなければならないんだ)。

一般より数十倍も音に敏感な方が入居されたことがある。
その方は私のような普段おしゃべりが大好きで、“にぎやか組”に属する方の声がイヤだった。

最初は夜だけ静かにしてほしいと話していたが、しまいには昼もそうしてほしい、実は足音や気配もイヤだった、と言った。
しまいには「あなたがトラウマだから、部屋から1歩も外に出てこないでほしい」ときた(もちろん、まだ未熟だった当時、相手にトラウマになるような余計な一言を言った私も悪い)。

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相手が精神疾患上そうなのもよくわかる。
私もたくさん理解に努めているし、たくさん配慮もした。
しかし同時に疑問も湧いてきた。
「ならなぜ、入居したのだろう?」
入居した本人も体験入居でグループホームの苦楽の全てを見抜けなかったのもわかる。
でも、人が生活している以上、足音を1mmも立てずに生活することなんて可能なのだろうか?

なら、なぜわざわざ人のいるこの“家”に入ろうと思ったのか?
実家にいることも出来た。一人暮らしすることも出来た(細かな事情があってここに来たこともわかっているが、あくまで私の目線で思ったままを話しているので、気分を害した方は申し訳ない)。

あなたが完璧に私たちの要望に答えることが出来ないように、私もあなたの要望に完璧に答えることは出来ない。
厳しいことを言うようだが、そんなに完璧を求めるのなら、どうぞぬくぬくとした居心地のいい実家にお帰りくださいだし、どうぞ一人暮らししてください、である(もちろん一人暮らしが難しいのもわかるし、一人暮らししててもお隣さんは同じようにいるので同じ状況にはなると思うが)。
“人と暮らす”とは、そういうことなのである。

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でも、逆に言ってしまえば、ここで暮らすことが出来れば、ここで“人と暮らす”ことがどういうことか体・心で学ぶことが出来れば、居心地の悪い家族と過ごそうが、恋人と過ごそうが、自分が作った新しい家族と過ごそうが、シェアハウスで過ごそうが、友達と過ごそうが、どんな人と過ごそうが、うまく楽しく要領よく過ごすスキルを得ることが出来る。
それに加えて、職員さんも伊達にいる訳じゃない。

職員さんも、職員として、人として、大切なことを教えてくれる。
耳が痛いけど、胃がキリキリするけど、これから歩んでいくために人生で本当に必要なことを教えてくれる。

これだけは言える。
入った後は、あなたは体感でしかわからない、言葉では言い表せないような大切な学びを得るだろう。
よくわからない?
もじもじしてるそこの君、迷うくらいなら、1度グループホームに入って一緒に生活してみないかい?