2022年は本当に成長した年だった。成長しかしていないと言っても過言ではないくらいに。

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一番は、自分を大切にするようになったことだ。
私は去年に適応障害を経験して、一度休んでから、また同じ医療系の大学に復帰した。
そこではもう、以前のやり方は捨てることにした。完璧主義だった私が、学年トップを走っていた私が、「優等生」とか「できる」私とおさらばしたのだ。

勉強は頑張りすぎない。ほどほどに手を抜いて、適当に済ませられるところはそうする。もっとやれると思っても、最低限までしかやらない。どれだけ修正されようが構わない。
出席も、パーフェクトに取ろうとするのはやめた。たまに休んだり早退したりして、単位さえ落とさなければよしとした。

勉強や実習で分からないところを自分で悶々と考え続けるのはやめて、素直に友人や先生を頼った。メンタルが苦しくなったときは、スクールカウンセラーのところへ堂々と行った。
カウンセリングを受けていることも、留年(休学)したことも、不安を抱えていることも、周りに隠すのはやめて素直に打ち明けた。年下の同級生たちに、いろんなことを教えてほしいと頼んだ。
弱くていい、間違えていい、誰も完璧なんかじゃないと毎日自分に言い聞かせて。

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本当のことを言うと、適応障害で弱っていた私が周りについていくためには、こうするしかなかったからなのだけれど。
それでも本当に、こうすることがいかに難しいかは、同じ完璧主義の人なら理解できる部分があると思う。周りの目が怖かったり、優秀なあの子がどうして?と思われたくなかったり、自分で「優秀な自分」を捨てるのが怖かったりするから。

でもそんなことより、まず自分を大切にしようと思ったのだ。こうしなければ、私はまた確実に適応障害に陥る。二度あることは三度ある。それだけは避けたかった。
そしてこの方法をとり続けたことで、今度こそ確実に卒業できると決まったのだから、これで結果的に良かったんだと思う。

私はこれまで頼ることが苦手で、悩みを隠すのが上手だった。適応障害になって休学する寸前まで、友人やバイト先の人はおろか家族にすら、誰にもメンタルの不調に気づかれなかった。私の不調に最初に気づいたのも、休めと言ってくれたのもクリニックの精神科医だ。

それが今では、つらいとかしんどいといった負の感情を人に話せるようになった。困りごとも言えるようになった。まずはカウンセラーから始まって、次に家族、さらに信頼している友人、そして普通の友人にまで。

もちろん話す内容によっては相手を考えるけれど、誰にでも「助けてほしい」と言えるようになったのだ。一人でなんでも解決しようとするのはやめた。これは大きな成長といえるのではないだろうか。

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もちろん今だって、完全に回復したわけじゃない。通院は今もしているし、眠れない日もある。絶望感に押しつぶされそうな日もある。泣きそうになる日もある。だけどそういうときにどう対処するのかは、去年と今年の私では全く違っている。
これからも、長い人生の中でゆっくりと成長していきたい。大きく成長しなくていいから、少しずつ、一歩ずつ。経験から何かを得て、変わり続けるのが人間だから。