人生で初めての「推し」ができたのは、3歳の頃。
私の推しは隣のマンションに住む、幼馴染だった。

当時、推しという言葉は存在すらしなかったと思う。
幼馴染のことを「友達」ではない特別な存在だと思ったから、「好きな人」という知っている言葉に当てはめていたけど、今では「推し」と表現するのが1番しっくりくる。

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私の推しは、優しくて、爽やかで、賢くて、ユーモアがあって、輝いていた。
お互いの家族ぐるみでよく、食事や海や遊園地に行った。
推しとファンという関係性にしては、距離が近すぎた気がするけど、私にとってそれらは推し事だった。
推しは「会いに行けるアイドル」だった。
物理的な距離は近いのに、推しは遠い存在だった。
夜に、マンションのエントランスに腰掛けて、2人してハマったテレビ番組について喋る時間が幸せだった。
「明日は何を話そうかな」
そんな事を日々考える私はまるで、握手会を心待ちにするオタクのようだった。

小学校に上がって、私は推しの家から少し離れた家に引っ越した。
推しが「会いに行けるアイドル」ではなくなった。
物理的な距離が離れると、私の中で、推しはさらに「アイドル」になった。
運動会で推しはリレーの選手で、いつも通りキラキラしていた。足が速い推しはかっこいい。推す理由が増えた。
推しの活躍に心躍る一方、推しは私の一向に前に進まない滑稽な50m走を見てすらいないんだろうと思った。

一緒に習っていたスイミングでは、バタフライで泳げなくて苦労する私と、タイムアタックで限界に挑戦する推しの距離は開いていって、その差はもう埋めることはできないように思えた。でも、泳ぎが速い推しはかっこいい。推す理由がまた増えた。
私は推しに釣り合わないと思ったし、推しも私に特別な興味はなさそうだった。だから付き合いたいという感情はなかった。

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ある日、推しがスキャンダルを起こした。
推しの熱愛が発覚した。
といっても、私が推しの恋する相手を知ったというだけである。
推しを推すことが、出来なくなった。
推しを私のものにできないのに、誰かのものになってほしくなかった。
「私ではない誰かに恋する推し」を受け入れられなかった。
推しに対する幻想が崩れた。
推す理由は沢山あったのに、推せない理由一つであっけなく崩れた。
推しを自分にとって都合のいい存在にしたかったのだとわかった。
そんな自分が気持ち悪くなった。
それから、推しを推すのをやめた。

中学生の頃、私は推される立場になった。
私を推していたのは、部活の後輩の女の子だった。
「推してます!」と、直接言われた。
私が推しに対して言えなかった言葉だ。
面と向かって言われると、「好きです!でも付き合わなくていいです!」と伝える告白とどう違うんだろうと考えた。

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私は特別その部活の競技が上手いわけでもなければ、活動に熱心なわけでもなかった。なので、推される理由は全く見当がつかなかった。
思い当たる節があるとすれば、怠惰な自分は、年上だというだけで後輩に威張れる権利がないと思ったので、積極的に後輩が行う準備や片付けに参加した。
しかし、部活をサボった日は勿論手伝えてないので、決して褒められたことではない。
毎日真面目に部活に参加し後輩に圧をかける先輩より、ふらっと現れて後片付けをする、美味しいところを持っていくような先輩の方が良く見えたのかもしれない。
それでも、「私を推す理由」はよくわからなかった。

「推す理由」がわからないと、「無条件の承認」を得ているように感じた。
後輩は私の友達や恋人になりたい訳ではなさそうだった。
目的がない人に、自然体を褒めてもらえたことが、とても心地良かった。
推す理由がわからないのに推している「無条件の推し」という承認は、親からの愛や、友達との友情に近いものではないかと思う。

当時の私はただ困惑するばかりで、後輩に向き合えていなかったが、「無条件に推し返す」ことが出来たら、また違う関係になれたのかと思う。
「無条件の推し」
私も、そんなふうに他人を受け入れてみたいと思った。