「あいつ、存在がキモい」
私に屈辱的な言葉が向けられたのは、中学に入学して1か月ほど経った頃だった。
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4月、中学での新たな出会いに胸をときめかせ、桜色に染まった校門に足を踏み入れた。
越境入学であったため、クラスに知り合いは1人もいない。
0からのスタート。種から青々と芽吹く若葉のように、私は希望に溢れていた。
しかし、入学して1週間ほど経ったあたりから、雲行きが怪しくなった。
こちらを見て嘲笑する男子集団の姿が視界に入るようになったのである。
私はクラス内で目立ったことをしたり、休み時間に積極的に話しかけに行くタイプではないので、せいぜい自席の前後左右の人間くらいしか私の存在を認識していないと思っていた。
委員会決めにおいても、学級委員など主要な役割に突然出しゃばるわけもなく、特段人気もない文化系の文化祭実行委員に立候補しただけである。
教室内で騒がず控えめで、毒にも薬にもならない存在。そう思っていた。
13歳の頃の私は、生まれ持った顔面の造形や体型のクオリティはともかく、自分より対象年齢が高めの雑誌を購読しているというだけで、容姿に自信を持っていた。
まさか男子達に「キモい」と陰口を叩かれていることなんて、夢にも思わなかった。
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「あいつ、キモくね?」という声が聞こえる。
キモい制服の着こなしも、キモい髪型も、キモい振る舞いも、キモいことは何もしてないのにどうして。
私は私の何がキモいのか一体わからなかった。
私の方を見て嘲笑する集団には、隣の席の男と、斜め後ろの席の男と、どこの席かすら分からない男が4人ほど居た。
一体私のどこをキモいと思っているのだろう。
彼らのうちの誰かとまともに会話をして、具体的な部分をキモいと指摘されたのであれば、まだ改善できるのに、生憎、誰とも会話をしたことがなかった。
見た目についてはキモくないように常日頃から心掛けていたので、それ以上の改善は出来なかった。
「あいつ、存在がキモくね?」
キモいのは、私の細かな要素ではなく、存在だった。
改善のしようがなかった。
そのうち、「キモい」という言葉では済まなくなった。
すれ違うと「死ね」。過剰すぎるほどに机を離す。執拗にクラスLINEのグループから私を「強制退会」。掃除では汚いと言って机を運ばない。隣の席の真下に転がった消しゴムを無視。その様子を見て諌めることもなく笑う女子。
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あの頃の私は、彼らに「酷い」と言い返せなかった上に、惨めな自分を許せず、誰にも相談できなかった。
「このくらいよくあること」「中学生だから仕方ない」「好きな女の子にちょっかい出しただけだろ」
親やクラスメイト、担任など、他人に状況や気持ちを伝えたとして、私が憎む相手を擁護し、私の気持ちを無碍にされたら、それこそ立ち直れない。
私は感情を抑えることにした。酷くない。悲しくない。傷ついていない。
初めから感情を表現しなければ、それが尊重されないせいで惨めに思うことはない。
それからの私は荒波のような感情を他人に伝えることなく、生き続けた。
しかし、そういう歪な生き方をすると、いずれ反動がくる。
今年の春、私は人と関わると理由もなく涙が止まらなくなってしまうような、鬱状態になった。
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自分がどうして泣いているのか、それを知りたい一心で行動した。
心理学のセミナーに参加した。
病院の心理カウンセリングに通った。
状況と考えと感情を表にして、思考の傾向を整理した。
鬱に関する社会学や心理学の本を借りて読んだ。
鬱の根治法についてのネット記事をスクラップしてまとめた。
様々な方法で、22年間目を逸らし続けた自分の感情と向き合った。
感情を抑制し、他人との本質的なコミュニケーションを避けていることが涙の原因だということに辿り着いた。
感情を素直に相手に伝えることで、相手との距離が近付く。
みんな、私みたいに遠回りしなくても感覚で気付いていることだろう。
マイナスを0にするのに22年掛かった。
これからは上がるのみ。