暖かく澄んだ青空の下、どこまでも続く田畑。たまにぽつんと民家があるだけで、あとはひたすら開けていて見通しが良い。商業施設がちょこちょこ建ち並ぶ大きな通りから道一本逸れただけで、すぐそんな景色に出会える。それが私のふるさとだ。
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比較的大きな都市との県境にあり、ベッドタウンとして人口は増加傾向にある。しかし住宅が多いだけで高い建物は基本なくて、どの方角を見ても向こうの方には山が見える。
秋になると町に猿が出た猪が出たと市内放送が鳴り響き、三十分に一本の電車もたまに猪と接触したとかで遅れることがある。車がないと不便な田舎はマイカー普及率が高いので、電車はあまり需要がないようだ。その割には道を歩けば野良猫に出会うし、お年寄りは基本横断歩道でないところを平気でゆったり横断して行くので、車で走るにしても気の抜けない、交通の便は少々悪いところである。
市内には小学校が三校、中学校が二校、高校は公立が一校だけである。そのため高校に上がる段階で市外への電車通学を決める若者が多い。
大学生という昼間にぶらぶらしていられる気楽な立場になるまで気づかなかったが、この町で見かけるのは幼い子どもかお年寄りが多い。子どもたちの親世代は昼間は働きに出ているし、特に遊べるところもないので、若者が極端にいないのだ。
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常々つまらない町だと思っていた。高校の頃の大ニュースといえば町に初めてスタバが出来たくらいで、友達と遊ぶ時は電車で隣町か隣の県まで行くしかない、それは服もアクセも買える場所がないからだ。スーパーや薬局はあちこちにあるのにコンビニは少ない、歯医者と接骨院がやたら多くて、基本どこも駐車場がものすごく広い。
SNS世代の私はこの田舎を恥ずかしく思い、渋谷の美容室に通う女子高生に憧れていた。学校帰りに服を買いに行くような学生生活を羨みながら、田園風景の中セーラー服を着て自転車でひた走っていた。こんな田舎、チャンスがあればいつでも出てやると思っていた。
大学進学を機に観光地の多い都会の真ん中に一人移り住んだ。夜中でも明るい街は新鮮で、どこへ行っても美味しいものが食べられて可愛いものが買えて、歩行者がたくさんいて、朝となく夜となく若者がどこにでもいて、とにかく楽しかった。
まさに憧れていた都会での暮らし。田舎者の私は若さも相まってそれはそれははっちゃけた。男女問わず飲み友達を作りまくり、自身も飲み屋でアルバイトしながら、小金を握りしめては用もなく繁華街をぶらついた。喜びに満ちた日々だった。
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ところが住み慣れるにつれて気づく。どこか無機質だ。どこか閉塞的だ。
美味しいものも可愛いものもどこでも手に入るので感動は薄れた。歩行者の多い道は歩きづらいし、若者は夜中に大騒ぎするのでうるさい。アルバイトは給料の割にしんどいし、若い女はニコニコしてなきゃ客に文句を言われる。そうして稼いだお金も月末にはどこかへ消えている。友達をたくさん作らなきゃ街の冷たさに耐えられない。
野良猫なんてどこにもいない。桜も紅葉もわざわざ観光地に見に行かなければ見られない。道端で一休みするカマキリもいないし、スーパーで立ち話をするお年寄りも見かけない。何もかもが整然としていてそっけない。
ふるさとに帰って来て、道端にぎゅうぎゅうに生えたねこじゃらしに感動した。夜に田んぼから聞こえる牛蛙の声が嬉しかった。昼間の静けさに心が落ち着いた。太陽の暖かさをしみじみ感じた。
この町は変わらない。電車の本数もコンビニの少なさも、駐車場の無駄な大きさもずっとそのままだ。
この町は変わらない。変わらないでいてくれる。ちゃらんぽらんな私にはそれがありがたい。