実家のテレビで、「吹奏楽の旅」が流れていた。音楽部に入っていた中高生の頃は、吹奏楽やらマーチングやら、密着番組をよく見ていた。だから、その日も母がチャンネルを合わせていたのだろう。
ただでさえレベルの高い有名校で、大会に出られる選抜メンバーを目指す部員たち。澄んだ瞳と、負けん気の強そうな表情、汗がにじむ額の素朴さが眩しかった。
かつては、彼らの姿をまっすぐ受け止め、涙を流していた。今そうできなかったのは、たぶんこそばゆかったから。
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同じく音楽部だった妹と、母の手料理を食べながらテレビを眺める。別に会話なんかしなくていいのに、無駄な気の遣い方をしてしまった。テレビに映る顧問の指導に、「もっと具体的に言ってくれないとさ、何をどうしたらいいのか教えてくんなきゃ分かんないよね?」と話しかける。その瞬間、中途半端に上がった口角はそのまま、めまいがするほどショックを受けた。
私は変わった。残念ながら、マイナスの方向に。
音楽の表現における指導というのは、外部の人間からはよく分からないような言葉や表現が多く用いられる。100人近い演奏者が同じイメージを共有する必要があり、それは言葉で表すよりも、誰もが知っているモチーフや物語から連想する方が容易だからだ。
そして、テレビに映る顧問教師は、完成イメージを生徒自身が創造することにも価値をおいていたのだろう。結果として、一見まわりくどく感じてしまうような、コンサルティングよりもコーチングに近い指導が行われていた。
冷静に考えれば分かる指導の意図もすぐには汲み取れず、冒頭の「もっと具体的に教えてくれなきゃ」が口をついて出た。
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自分がショックを受けたのは、10年前、音楽部で活動していた頃より、劣った自分に気づいたからだ。
10年前は、顧問の指導がどれだけ抽象的であろうと、不満を覚えたことはなかった。ただ音楽をつくりあげる時間が楽しくて、努力すべきは自分で、顧問が改善すべきことなんてひとつもなかった。まだ10代前半だったこと、奇跡みたいなピュアピュア優等生だったことを差し置いても、新卒一括採用で重宝されそうな、打てば響く素直な学生だったと思う。
かつて快活な返事をしていた口と、「もっと具体的に」と発した口が同じものとは思えなくて、絶望した。社会一般的には、前者の方が「優秀な人」と分類されるであろうことにも。
私は10年かけて、こんなところへ来たのか。ジャージで汗をかく彼女より後ろのマスで、眩しさに目を細めている。悲しくて、あわれだった。
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こうして、素直さやまっすぐさという点において、自分は10年前よりはるかに劣ったことを自覚した。「昔できていたことができない」は、「皆できることができない」よりも厳しい感情だった。情けなくて、鞭で打ったようなヒリヒリする痛みだった。
自分を、この10年を責める日々が続いたが、少し冷静さを取り戻すと、この10年はマイナス成長だけではなかったのかもと思えるようになった。自分の変化に気づけた私は、素直さ一辺倒の頑張り方と、自分の頭で考える頑張り方、ふたつのスタイルを手に入れたとは考えられないだろうか。ある部分ではマイナス成長を叩き出したけれど、成長に転じたことも間違いなくあるはずだ。
素朴な女の子の背中は、今も眩しい。それでも、今が1番眩しいと泣ける日を、願わずにはいられない。