「百万円あったら、何がしたいですか」
誰かと会って、話して、話題が尽きたころにその相手が少しお話上手だった場合に登場する、定番ネタだ。

百万円あったら何がしたいか。ふぅん、そんなの決まっている。
「運命の人と結婚式を挙げるのよ」
そう言うと何がおかしいのだか友達はげらげら大笑いして、「そんなのおかしい」だなんて言ってみせる。何がおかしいのよ。何にもおかしくないじゃない。そう言いかける。そしてやめる。喉の奥を言葉の渦が、すうっと通っていく。

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わたしは現在二十歳である。彼氏はいる。とてもかっこいい彼氏。そして優しい彼氏。
わたしは彼氏が運命の人だと思っている。だから、百万円あったら今すぐにでも、彼氏と結婚式を挙げたい。なぜ結婚式を挙げたいのかと聞かれると、困る。みんなが期待する、常識内での回答ができないからだ。

幼いころから結婚よりも結婚式に憧れがあった。
だって、みんなの前で愛を誓うのでしょう。「この人を一生愛します」ってみんなの前で宣言するのでしょう。それってなんだか愛が重い。メンヘラっぽい感じがして安心する。結婚式を挙げておきながら、メンヘラを嫌う人間は、何なのだろう。とても滑稽に思える。愛を誓ったのに。それも一生の愛を。「馬鹿じゃないの、メンヘラなのはあなたも一緒よ」と言いたくなる。

つまるところ、結婚式を挙げたい理由はこれだ。堂々と、「愛が重いですが何か」という立ち振る舞いで大好きな人のそばにいられるからだ。

もう分かったかもしれないけれど、わたしはメンヘラである。それもかなりの。
愛が重いということは、男女の関係を築くときに大きな障壁になってしまう。だって怖いでしょう。それは私もわかっているのだ。いくら仲が良いからとはいえ、簡単に人に命を懸けられる人間なんて、そうそういない。それなのに、「一生そばにいて」だの「他の女を見ないでよ」だの、冷静に考えて怖すぎる。無理無理、無理だよ。

だって君と一緒にいて、まだたったの一年じゃないか。親にだって魂売れないよ。そう言われるのが関の山である。

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けれど、そう言われないのが結婚式である。つまり、結婚式のその日までメンヘラゲージを低く保つことに努め、メンヘラをぎゅっと我慢して溜めておくのだ。そして溜まったメンヘラを結婚式で一気に放出するのだ。

結婚式では「一生そばにいて」と言っても、「ほかの女を見ないでよ」と言っても許される。結婚式に参加したことがないのでわからないが、きっと許されるだろう。お祝いムードでその場にいるすべての人間の頬が緩みまくっているなか、「そんなの愛が重い、怖い」とむっとされることはないと思う。ないと信じたい。

だから今すぐ結婚式がしたい。百万円で挙げる結婚式はきっと二人の記憶に色濃く残る。そして約束通り、死ぬまで愛し愛されるのだ。

もちろん、結婚式を挙げながらも、愛を裏切られる人や愛を裏切る人がいるということも知っている。けれど、そんなことは結婚してみないとわからないじゃないか。
結婚して結婚式をあげたら覚悟がつくのかもしれない。つかなかった人が離婚している。わたしはどうだろう。分からない。

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友人を目の前にして、そう熱弁すると、友人はさらに笑った。何がおかしいのよ。なにもおかしくないじゃない。わたしは唇を尖らせて言う。
「そんなに笑うなんて、ひどいじゃない」

友人は、ごめんごめんついね、と謝りながら教えてくれた。結婚式は百万円じゃ足りないということを。あわててスマホをぽちぽちして調べると、平均的な結婚式の値段は三百万円くらいだそうだ。全然足りないじゃないのよ。わたしも笑った。
わたしはどうやら、夢を見ていたようだった。