2023年になった今、新たに目標を定める。
過去2年間の自分が定めた目標を振り返ると、2021年は「新たな出会いを掴むために挑戦すること」、2022年は「そこで得られた関係値を大切にすること」であった。これらの目標は果たして達成できたのだろうか。

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前提として、「年」というものは暦の上では区切られているが、12月から1月に変わる瞬間は本来何気ない日々の連続である。そこでは「1年間お疲れ様」「来年もよろしくお願いします」といったような新しい年に向けての意識が生まれている。生活に区切りをつけて新たな風を吹かせたいのである。

ここで注意すべきだと思うのは、去年と今年が全くの別物だと捉えないことであると考える。去年できなかったことが今年急にできるようになるわけではないのだ。もちろん、今年は日記をつけよう、などといった意識によって変わるものはあるが。
去年も今年も繋がっているのである。もし、新しい目標を定めるとするなら、重要なのは去年の目標を振り返ることなのではないか。

私の場合はどうだろう。
去年1年間は人間関係において「関係値を大切にする」という意識を持ってやってきただろうか。結論から言えば、周りを大切にできていたと思う。

大学1、2年生の頃と比べると周囲の環境にさほど変化がなく、アルバイトや学校など比較的安定していたように思う。波風立てることなく平穏無事にやり過ごしてきた1年は目標を十分に達成している。

しかし、ここで一つの疑問が生まれた。私は目標を1年間意識しながら達成する努力をしていただろうか。正直に言うと、2022年の目標を思い出そうとしても振り返るまで忘れてしまっていた。

無論、周囲との関係値において良い人間関係を築く方が良いに越したことはない。そのため、目標云々ではなくとも達成できていたのではないだろうか。そしたら目標を定める意味とはなんだろう。1か月で忘れ去られる命であるというならば、それを「今年」の目標と定める必要はないはずだ。

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さて、今年私が定める目標は「続けること」だ。
去年は続けることについて、その難しさについて考える機会が多くあった。無理だと思ったらやめてしまうし、成果が出ないと思ったら一旦手を引いてしまう。完璧主義とまではいかないけれど100%の力を出せる場面でないとやらない、そんな傾向が自分にはある。
しかし、70%でも60%でも30%でも「続ける」ことに意味がある。かっこ悪くてもいいのだ。自身は気づいていなくても力はついてくる。そして周りは見ている。

私は文章を書き続けていたい。誰に読まれなくても、それがうまく書けなくても。自分が納得できるまで続けていたいと思う。それと同時に、「続ける」という今年の目標を時折思い出す努力を続けていこうと思う。

達成するためには意識する必要があるのだ。そもそも達成したかどうかなんて目に見えるものではないし、誰が評価するのではなく最終的には自分が評価するのである。目標は自分のためのもの。だから達成できなくても落ち込む必要性はなく、ちゃんと続ける努力はしたと言えるようになることが重要になってくるのではないだろうか。

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自分と向き合うのが難しいときに、「これは昔の自分が定めた目標だから」と意識するのが難しくなってしまうことがあると思う。ヘソを曲げて過去の自分から逃げ出したくなることもある。
しかし、それを含めて自分なのだ。調子が良い時も気分が乗らない時も、100%でも20%でも続けていくことが、それを意識することが今の自分にとって必要なことであると考えた。

2024年になってまた新しい年を迎えるとき。どんな自分になっているかは分からないけれど、今よりもっと自信を持って自分を好きになっていれば良いなと思う。