「2022年の私、お疲れ様でした」
このエッセイを書こうと思い立ち、最初に打ち込んだ一文。ありきたりなフレーズなのに、キーボードの上を彷徨っている両手の甲に涙が落ちた。

2022年はこれまでの人生で一番挑戦して、一番絶望した年だった。自分にも、他人にも、社会にも。
2023年は、派手な出来事なんてなくていいから、こんな自分を愛せたらいい。
ただそれだけを願いながら2022年を振り返る。

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2022年の始まりは、これから来る大きな挑戦にワクワクしていた。
2、3年くらいカンボジアで働きながら、オンライン授業を通じて大学院生活を送る。
物心ついた時から盲目的に突き進んできた高校、大学そして名の知れた企業に就職という一直線にのびた「よくある道」から外れる。そして自分の意志に従ってキャリアを創造していく。
そして始まった人生初の海外生活。
しかし現実はそんなにうまくは進まなかった。

私が辿り着いたのは日本にいた時以上に「日本」を感じさせられる世界。
「国際協力」というキラキラした単語にただ惹かれてやってきた日本人たちは、英語が話せない上に、カンボジアで生活しているという事実に満足している。
「他の団体は応募に英語要件があるから無理だった。ここは英語の要件がないから選んだ」
そんなフレーズを耳にタコができるほど聞いた。
大学4年間、英語力を磨くためにがむしゃらに頑張ってきた私は唖然とした。
そしてその環境が示していたことは単純に英語力が高いかどうか、にとどまる話ではなかった。
有り余るハングリー精神を持つ私は完全に浮いていた。
同じ部署の社員たちは「インターンなんだからなんでも挑戦しなよ」と言う一方で、私が何か提案をすれば、「君の提案をやろうとすると、社員にはこれだけの負担がかかるんだ」とか屁理屈を並べて、結局、想定内の行動しか許さない。
これまで、よりレベルの高い場所へと、首が痛くなるほど上を向きながら、何かを追いかけてきた。その先で、突然崖から転がり落ちたような感覚を得た。

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それでも、初めての擬似社会人生活であり海外生活だったから、まずはそれなりに楽しくやってみるか、と思い始めた。
その矢先だった。
突然の友人の訃報。
自殺だった。
のほほんとし始めた私の頭に殴られたような衝撃が走った。
涙と、心を突き刺すような問いが溢れて止まらなくなった。

何のために私、ここに来たんだっけ?
何のために、ここまで頑張ってきたんだっけ?
「追いたい夢がある」とか偉そうに言いながら、刹那的な楽しさに溺れているだけじゃないか?
日常に甘んじている間に、私は“また”、大事な人を失ってしまったんだ……。

こんなんじゃダメだ。もう場に溶け込もうとするのをやめた。
日本人としかつるまない日本人たちを避けるようになった。
尊敬できる人を求めて所属する部署を飛び越えて仕事をした。
「あなた、おかしいんじゃないの」と言われながら日本人寮を飛び出し、快適さからかけ離れたカンボジア人寮に住み始めた。
ひたすらもがいても違和感は薄れることなどなく、それどころか確信を強めていった。
ここにいるべきではない。
そして渡航から半年後、日本に帰ることにした。

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納得している決断のはずだった。でも誰にも会いたくないと思いながら帰国した。
カンボジアで働かせてもらった団体自体は素晴らしい団体であったと今も思う。
でも、2022年のあの期間に私が身を置いた環境にはついていけなかったことも事実で。
組織の一人になるということが、私にはどうしてこうも難しいのだろうか。

情けなくて、誰に会うのも辛かった。何も話したくない。
そんなことを知る由もない誰もが聞いてくる。
「カンボジアどうだった?」
「なんで半年で帰ってきたの?」
全ては過去の話。失望も怒りも、もう全て水に流してしまいたいのに。
SNSはほとんど見なくなったし、友人たちに飲みに誘われても断るようになった。

その後の、大学院生としての本来の日々は雪崩れ込むようにやってきた。日本の外にいたというのにあの半年間でむしろ英語力が衰えたように感じた。
大学院は英語のコース。飛び交う英単語についていくのは大変だった。何度も体調を崩して寝て起きてを繰り返しているうちに、気づけば年の瀬だった。

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あの半年で、私は何か変われただろうか?
もし1年過ごしていたら何か違っていたか?
だけどあの場所にはもういたくなかった。
自分を守るために帰ってきた。でも今の私は自分の首を以前よりも強く締めつけている。
私は自分自身に絶望しきってしまった。
「夢破れた」とは言いたくなかったのに。

それでもまだ、諦めようとする度に強く自覚させられる私の意志がある。
絶望の色が濃くなる日々の中で、16歳の時から心の奥底に抱え続けてきた思いに気付いてしまった。
「大事な人を『死』から守りたい」

今はひたすら、答えの出ない疑問と不安に苛まれながら次の一歩を踏みとどまっている。
組織に馴染めない私を、大人たちは「素直じゃない」って嘲笑うかな?
追いたい夢のために曲げられなかった意志があることを、他人は「子ども」だと呆れるかな?
じゃあ、世間が言う「正解」に従った先で、果たして大事な人を「死」から守れる人間になれるかな?
でも、16歳の“あの時”も、「正解」の中で生き続ける人たちは誰も助けてくれなかったよね?

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自分の道を創造しようと踏み出した。その一歩目で挫かれた私は、歩み続ける勇気を持てないでいる。後退もできずただ座り込んでいる。これが2022年の私だ。

ある日、たまたま見つけたガンジーの言葉。
「毎晩眠りにつくたびに、私は死ぬ。
そして翌朝目をさますとき、生まれ変わる」

2023年、新しい年だ。2022年の私は死ぬ。そして新しい私が生まれてくる。
次の私はどんな「私」になれるかな。
少しは自分の夢に近づけているかな。
そんな自分を愛せているかな。
根拠なんかいらないから、信じて、生きていて。