「自分がその瞬間『したい』と思うことをする」
2022年の最初に私が掲げていた宣言。この言葉の通り、自分の直感を信じて、駆け抜けた1年だった。
仕事も、プライベートも充実していた。

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2度落ちていた会社の試験に、3度目の正直で合格。
1月から婚活をスタート。「この人以外に好きな人は現れるのかな」という、過去の恋愛を若干引きずりながらの活動だったが、過去に大好きだった人以上に「好き」という感情が芽生え、この先二人三脚で私はこの人と歩んでいくのだと思える、彼氏でもありながら、友人でもあり、兄のような父のような、存在である人と出会えたこと。人を愛し、大切に想う気持ち。今まで出会ったことのない、自分に新しい感情があることも知れた。
とにかく、駆け抜けた、充実の1年だった。

だけど、人間っていうのは不思議だ。というか私の特徴なのかもしれないが、振り返ると悲しいこともたくさんあった。その時期はとことん気持ちが沈むのに、嫌なことは時が過ぎれば忘れてしまうのが、私の良い部分でもあり、悪い部分でもあるのかもしれない。
年を迎えてすぐに、祖母を亡くした。コロナ禍で、面会も許されず、何よりも母が祖母の最期に立ち会うことが出来なかったことがもっと悲しかった。
祖母は隣の県に住んでいたから、定期的に祖父や祖母を訪ねていたわけではなかったが、すごく悲しく、思い出す度に今でも涙がでる。

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夏、彼がこのご時世の流行病による自宅待機になり、急に2週間以上、会えないことになってしまった。そのことに気落ちしていたら今度は自身が罹ってしまった。
家族にも会えない、好きな人にも会えない。大事な人に会えること、って簡単なようで、簡単じゃない。有り難いことなのだと実感した。大事な人に会うためには、自分が元気でいること。「身体が資本」という言葉の意味を身に染みて感じた。
大げさかもしれないけれど、1日を生きられることってありがたい。そして何より、大事な人が健康であってほしい、そう思う。

2022年、動き出したことにしっかり結果がついていた1年。ハッピーなニュースが、ブルーな出来事を包み込んでくれたように思う。
2023年も迎えようとしている今、同時にどこか不安な気持ちもある。幸せなことが続くと、この先下がる一方かもしれない、というネガティブな思考だ。2023年はどんな試練が待ち構えているのだろう、と思ってしまう自分がきらいだ。

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2023年はどんな楽しいことが待っているのだろう。明日はどんな楽しいことがあるだろう。1日1日をやり過ごす、のではなく、大切に生きる。そんな心意気、マインドでいること。それが2023年の私には必要だ。
幸い、隣にいてくれる彼氏は、そんな心意気をもっている人だ。「1日1日ちょっとでも楽しみを見つけようと思って」と彼が前に言っていた。
私には無理だ、と心の中で捨て台詞をはいた。だけど、考えてみると、私も、食後の甘いものに、コーヒーを飲む時間があるだけで、幸せだ、この時間があればいい、と感じた瞬間があった。
だけど、ここ最近は、毎日せわしなく、常に頭では何か考え事をしていて、楽しみってなんだっけ、そんな状態だ。

きっと私のまわりには楽しいことがあふれていると思う。周りからもたくさん楽しませてもらっているのに、それを実感できていなかったかもしれない。
楽しいことを、しっかり楽しいとかみしめることができたら、1日1日に感謝できるかもしれない。

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2023年はちゃんと前を、足元をみて、歩きたい。道端の花にカメラを向けて、幸せな気持ちになれたらいい。隣にいる人と、笑ってあたたかいごはんを食べられたらいい。自分で楽しみを実感できるようになるまでは、隣にいる彼に「今日の楽しいことは何だった?」と聞いてみようと思う。

2022年は、全速力で駆け抜け、大きい喜びは実感できたけれど、身近な幸せや、楽しい出来事が少しかすんでしまっていた。少しペースを落として、小さな喜びを1日1日感じて、感謝をして、それが大きな喜びになって誰かとシェアできる、そんな2023年をつくりたい。