「寒かった日」と聞いて、真っ先に思いついたのは、冬に行ったコンサートグッズの物販だ。
当時高校生だった私は、応援していたアイドルのコンサートグッズを買いに行った。コンサートに参加する前に、グッズを買うのだが、今のようにインターネットでグッズが買えるシステムはない。会場横のグッズ売り場にある、ずらっとならぶ列に並んで、グッズを買うのが当たり前だった。

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私が好きなアーティストは、かなりの人気を持っているグループで、販売を開始して数時間で売り切れるグッズがあるほど。売り切れなく、自分が欲しいグッズを買うために、朝から始発で並ぶことが常識で、一種のステータスのようにもなっていた。SNSを通じてコミュニティも作られており、会場近くに住む人とつながることで、始発に間に合わないときの代行をお願いすることもあった。
始発で並ぶと、昼前にはグッズを買い終える。グッズを買い終わると暇になる。コンサートの開始時間は夕方。それまで時間を潰すために、SNSでつながった友達と会う。これまた常識であり、ステータスだった。

私もその文化に触れたひとりだ。始発とまではいかなかったが、朝早く起きて電車に乗る。グッズを買うために、学校に行くよりも早い時間に起きるのだ。前の年に買ったグッズのカバンを持ち、買う予定のグッズリストを握りしめ、会場へ向かう。最寄りの駅に向かうほど、同じ目的であろう人たちが増えていく。
無事に列に並ぶことができた私は、携帯でSNSを開き、今日会う人とやりとりをする。今グッズに列に並んでいるか、買えない可能性のあるものを代行できるか、今日何時にどこで落ち合うか、確認事項だけでもたくさんあるのだ。

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思い出に残っているこの日は、チケットを取った日ではない。グッズを買うために出かける日だった。
厚手のコートを羽織り、ローヒールのショートブーツを履いて出かけた。天気は曇り時々みぞれ。あまり雪の降らない場所だが、この日は早朝にみぞれが降っていた。傘をささなくても濡れないくらいの、雪に近いみぞれがときおり降ってくる。ただ列に並んでいるだけで手がかじかみ、カイロが手放せなかった。

グッズを買い終わり、会う約束をしている友人と合流する。併設されている商業施設に入って腹ごしらえをすれば、別の人に会いに出かける。会場の外が集合場所になれば、そこで人を待つことだってあった。たくさん歩き、寒さに耐え、足の感覚はほとんどない。朝からずっとしもやけ状態が続いている感覚だ。その日の夜、帰宅して暖房で足を温めていると、ふと違和感に気づいた。

足の指の指紋がない?

自分でも驚いた。まさか指紋は消えるものではないと思っていたから。しかし、一日中寒い中を歩き回り、ソールの硬いブーツで過ごした一日は、つま先に思っていたよりも負荷をかけていたらしい。足の指を触ったとき、ツルッとしていたのだ。目で見て確かめようと、足の指の腹を向けてみる。そこには、のっぺらぼうのような指の腹があった。
思わず笑いが止まらなくなる。家族に伝えてみると、そんな馬鹿な、と冗談交じりにあしらわれた。その反応に無理はない。
そもそも、足の指に指紋があるか、など普段から気にしたことはないはずだ。手の指ほど関心を持って足の指を確認する人はなかなかいないだろう。今回も、たまたま足を触ったから気づいたことだ。私も真剣に信じてほしくて言ったわけではない。今回の家族の反応が模範解答だと思う。身をもって、新しいことを見つけられた喜びのほうが大きかったくらいだ。

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寒さに弱い私は、毎年凍えながら冬を越す。しかし、一日中歩いて足の指紋をなくしたのは、その日だけだ。
冬になり、コンサートが多く開催されるようになると、必ず思い出すエピソードのひとつ。電車の中で、会場の近くで、おしゃれをしてグッズ列に並んでいる女の子を見るたびに、私にもこんな時期があったのだな、と思う。寒いなかずっと歩き続けたことも、常識化していた早朝からの物販も、足の指紋がなくなったことも全部懐かしい。

寒かったあの日、特別な思い出として私に刻まれたのは、足の指紋をなくすという奇妙な経験と発見だった。大人になっても思い出す、若き日の思い出。今もなお、おもしろい経験ができたと思っている。