「最初はたいてい、うまくいかない。あきらめずに書き続けたら、うまくなる部分はある」
私が読書にハマるきっかけとなった三浦しをんさんは、とあるウェブサイトのインタビューでそのように話をしていた。
きっとたくさん努力したのはもちろん、もともと才能があったんだろうな。私はいつもそうやって、憧れは憧れとして終わらせてしまっていた。どんな感動する本を読んだって、その文中でどんな素晴らしい表現を見つけたって、作家のサクセスストーリーを知ったって、そんなふうになれるのはほんの一握りなんだよなと、いつも諦めていた。
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私は刺激のない日々を送っていた。ただ毎日会社と自宅のシャトルラン。寝て起きて出勤して、退勤して、それでもすぐに朝はやってくる。頑張ってベットから起き上がって、その先につらいつらい仕事が待っていても、片道一時間半かかるとしても、電車の中で読書ができることだけが唯一の癒しだった。
電車に乗ると、前の座席の人は全員がスマホを食い入るように見ている。人は時間がただ無為に流れていくことを嫌う習性があるのだと本で読んだことがある。意味のないネットサーフィン、興味のないゴシップ記事に、自己愛が集まるインスタグラム、そんなものを親指一本でスクロールして情報を得たって、なにも得られないのに。そんなことを分かっていても、私もつられてスマホをいじる時がある。
だけど、通勤の往復で一日三時間もあるのだ。その毎日の三時間を、こんな無為に過ごしていいのだろうか。そんな日々を過ごしてしばらくたったころ、私は極力本を読もうと決めた。
行きの電車ではとにかく読み、仕事の休憩時間も読み、帰りの電車では何か少しでも文章を書こう。
そう決意してから、私は様々なエッセイ応募サイトを探した。その時間はとても楽しくて、狭く浅かった私の人生がどんどん色めきを増し、楽しくなってきた。
「読んでいて面白いと思うのなら、自分も書いてみればいいじゃん」
そう友達に言われ、私はとにかく書くということを始めた。
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それで最初に応募したのが、このかがみよかがみのサイトだった。
原稿用紙四枚ほどのエッセイは書きたいことをすべて書く余裕があり、かつちょうどいい。また、毎回募集されるテーマの内容も面白く、新しいテーマが発表されるたびに、それに合ったエピソードを思い返す時間が好きだ。
「昔、こんなことがあったな」
「あれはつらい日々だったけれど、今エッセイにしてみたら誰かの背中を押せるのではないか」
そんな気持ちで、思うままに文を書く帰りの電車に揺られる時間が大好きだった。
書くという作業を始めてから、少しずつ採用してくれるサイトが現れてきた。まさか自分の未来にこんな世界が待っていただなんて、知らなかった。自分にも文を書くことができたなんて。それを誰かに読んでもらうことができるなんて。そんな夢みたいなことがこの世界にはたくさんあっただなんて。
とにかく毎日が楽しくなったのは、一歩踏み出して、自分の「今」を書こうと思ったからだ。
「小説を書くというのはね、いわば遠い知らないどこかの誰かに、届くかもわからないラブレターを書くようなものなのです。だからね、書けばいいんですよ。なにも躊躇することなく、あなたの今を書けばいいんです」
先日とあるエッセイが入賞し、講評会に出席した。その際に、憧れの太田忠司先生がそう教えてくれた。
届くかどうかわからないラブレター。それを書くのは、時には徒労で終わるかもしれない。
だけれど、私は書くのだ。一人にでも届くことを願って。私にしかできないやり方が、まだまだあるはずだから。