子供の頃、100万円という金額は無限の富と同義だった。おとぎ話の王様も、漫画に出てくる財閥の社長も、みんなお金をたくさん持っていて、彼らのお札には0がたくさん書いてあり、それはだいたい100万円くらいなのだと、非常にざっくりと思っていた。
しかし大人になるにつれ、世間並みの金銭感覚が育っていき、どうも100万円という数字はそこまで夢のような金額でもないらしいと、少しずつわかってきた。

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そしてアラサーになった今断言できる。
「100万円は秒で消える」
引越しをしたら?車を買ったら?家電一式を揃えたら?いや、普通に暮らしていたとしても、大人ふたり暮らしの月間生活費の平均は、およそ20万円前後らしい。とすると、夫婦で半年も生き延びられない。
半年の命も保証してくれない金額。現実を生きるのに必要な総額からしたら、ほんのはした金。それが100万円だ。

そんなはした金のはずなのに、年収を100万円上げたり、100万円貯金したりするのは、正直めちゃくちゃ難しい。
自力で100万円を手に入れる難しさを知っているからこそ、もし今札束をぽんと渡されたら、景気良く派手に使おうという気には到底ならない。問答無用で預金口座行きだろう。
だいたい、「老後の資金にウン千万円必要」「年金はない」なんて言われながら育ったら、大金を手にした時の選択肢として、貯金や生活費充当以外を思いつくようになるだろうか(投資も手だと思うけど、わたしにはその勇気がない)。

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もし100万円限りではなく、お金が無限に貰えるのなら、欲しいものややりたいことは結構思いつくのだ。
寝具を布団からベッドに買い替えたいし、旧式の家電を新しいものに買い替えたい。オーブンレンジが欲しい。食洗機や乾燥機付き洗濯機も。
部屋がこざっぱりしすぎているから、ちょっとした棚やラックも増やしたい。
本棚が欲しい。総額10万円の全30巻文学全集を本棚に並べたい。5000円するハードカバー単行本も、臆せずレジに持って行きたい。
傷み切った下着しか持っていないから新調したい。中の紐が飛び出たブラジャーをずっと使っている。私服も仕事着もちゃちなものしか持っていない。生地や縫製がちゃんとしていて、10年くらい着倒せるものが欲しい。
化粧品も、別に高級品を使いたいわけじゃない。ただ、自分の顔の造作や体質に合うものが見つけられるように、心ゆくまでいろんな商品を買い、比べ、試したい。
好きな時に好きなところに行きたい。飛行機でも新幹線でも、国際線でも国内線でも、スケジュール管理は自分でなんとかするから、せめて金銭的制約を感じずに移動したい。車の運転も練習したい。ペーパードライバー講習に通いたい。
疲れている日には自炊を休んでデリバリーを頼みたい。
寒くても我慢しなくていいように、別室にもエアコンを付けたい。
いちいちスーパーで、パプリカ1個100円か、高いな、とか思いたくない。
何のお祝いでもない日も、2500円のワインをためらいなく手に取りたい。
口座残高を思って、舞台や映画、お笑いライブ、コンサートの申し込みを諦めたくない。
友人と会ってご飯を食べる時、心にしこりを感じたくない。

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書き出してみて改めて思った。やはり100万円は秒で消える。
上に書いたように、細々とした生活上の不自由を解消したり、生活の質をちょっと向上させたり、生活が満たされて、やっと大きな買い物について頭が回る。今は夢のある使い道について想像することができない。

無限にお金を持っている設定で考えてみたのに、すごく小市民だ。王様にも社長にも、とてもなれそうにない。せめて、生活に関するささやかな願いを一個一個満たしていけるように、なんとかお金をやりくりしていこうと思う。