私は文章を書くことに対しては、少なからず苦手意識を抱いている。近年はインターネットの発達によりSNSを通して文を書くときもあれば、手紙として書くとき、大学の期末レポートとして書かなければならないときなど、文章を書く機会というのは非常に多い。

しかし全ての文章を書くことに苦手意識を抱いているわけではなくて、場面によっては好きなこともある。
以下では具体例を出して、場面によって変わる、私の捉え方の違いを紹介したい。

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まず初めに、苦手意識を持つ場面から。
ズバリ、マイナスな場面や誰かに謝りの文章を書かなければならないとき、そして就職活動などの自己PRを書く文章は、正直いうと大嫌いだ。

目上の人に文章を打つときは友人に送る文章と異なり、どこか仰々しくなる。そうなると、相手の機嫌を損なわないように、へりくだって「ら抜き言葉になっていないか、誤った二重敬語になっていないか」など必要以上に考え過ぎてしまう。このような考えになると、自分の意見を思いっきり伝えることができず、もどかしく感じる為、苦手だ。

また、謝りの場面での文章が苦手なのは万人に共通するものなので理由は割愛する(叱られたくないのは誰でも一緒である)。

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最後に苦手と感じる場面として、就職活動に使用する自己PRである。実は文章を書く中で最も苦手意識が強い。

理由は簡単だ。たかが字数の決まった文章で自分の良さが完全に伝わるとは思えないからだ(仮に字数が制限されていなくても、文章のみでは伝わるのか……?)。
もちろん、企業側もそれらを理解した上で、「面接」という機会を設けるのだが、エントリーシートと呼ばれる厄介なものを通過しないと面接まで行きつかないことも数多く存在する(少し就職活動への不満になってしまったので話を戻そう)。

正直、典型的な企業受けする型にはまった自己PRというものが求められている気がする。
例えば、自分のアルバイト先での経験、ボランティア、留学など。これらは“ガクチカ”と呼ばれ、自己PRと結びつけて、企業に認めてもらわなければならない。

ガクチカを作るために、ボランティアをしているなどという話は聞き飽きた。何故、奉仕の精神が求められるボランティアをガクチカの為だけに、(いわば無理矢理)行う理由があまり理解できない。

が、私もこれと言って優秀な人材ではないため、来年の就職活動のために無理矢理でも、企業の目に止めてもらうような自己PRを作らなければならない。就職活動のための自己PRを書くたびに文章を書くことへの抵抗にも繋がって、自己PR=型にはまった文章=書きにくい、と感じている。

以上のように、何故、苦手意識があるのかについて考えてみたところ、総じて言えることは私は“縛られる”ことが嫌いなようだ。かと言って、正式な場ではきちんと“縛られた“文章を書くことが求められる為、苦手意識は生涯ついて回るだろう。

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次に、文章を書くことに対して好きな場面。
これは上記で述べたことの反対で、縛られていない文章が好きだ。友人とのLINEのやりとりは縛られることなく、短文で気軽に文章を送れる点が良い。そして友人も気軽に返信したいときに返信してくれて、会話のキャッチボールが成立する。少し厄介なことは文章だと、誤解を生んで意図していない表現に捉えられてしまうこともあるので、その様な時だけ電話で対処する。

SNS上のメッセージは絵文字がつけられるため、感情を絵文字に乗せ易い。絵文字にばかり頼ると文章力が欠けてしまう点も気をつけたい。

また私は、飽き性ながら一言日記を1年間継続している。日記だと、誰にも読まれることなく、自分の感情と向き合うことができるのでスラスラ文章が書ける。
以上、私の文章を書くことについての考えを述べた。今後も、文章に対する嫌悪感が増えないように願うばかりだ。