「失敗した……」
これは私が日頃思うことである。

私はアドリブで考えて話す、いわゆる面と向かっての会話・電話をする時、緊張してしまう。話すこと自体はとても好きだが、相手に失礼のない言葉遣いや態度を即座に考えることが苦手だからである。
同じアイドルが好きとか、東京に来て同郷の人と会ったときとか、盛り上がる話題になると、自分の気持ちを伝えようと必死になって結果的に相手のことをあまり考えていないような言動をしてしまう。「なんでさっきこんなこと言ったのだろう・したのだろう」と後々後悔することが多い。
後悔をして反省しても、テンションが高くなると自分を制御できなくなってしまうのが原因である。分かっていてもその状況になるといつものこの私になってしまう。

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直接声という媒体で話すことによって互いのイントネーションを伝えることができ、誤解を生むことは少ないと思われる。一方で文字にするとテンションが伝わりにくく誤解を生むことが多いと言われることがある。
文字は間接的な会話故に“こんな感じ”が伝わらない。ニュアンスが伝わらないことでもどかしさを感じることもあるが、それは自分を成長させてくれる良い機会だと思っている。
声での会話は即興であるため、頭の回転が速い人は必要ないかもしれないが、次に発したい言葉を一旦頭で考えてから口に出すことが望ましいと私は考えている。
しかし、上記のように自分を制御できない状態で会話をすると、いちいち頭を介さないため、失言・失態してしまうことがある。そしてその言動は相手に伝わっているため回収することが不可能である。仮に弁解したとしても相手に伝わっているという事実を変えることはできない。

しかし、文章だったらどうだろうか。
相手と同じ時間を過ごしていないため、落ち着いて自分の考えを文字にすることができる。自分の気分が良い時・悪い時でも相手からの文章に対してすぐに答えなければならないというプレッシャーもなく、自分の気持ちに整理がついてから返すことができる。
また、文章は文字として自分の目に映り、改めて自分の気持ちや本当にこの表現でいいのかを確認することができる。そして「これを伝えたら相手が嫌な思いをするかもしれない」「相手はこういう答えを求めていたのではないかもしれない」と、文字が確認するためのワンクッションとなって考え直す機会になる。しかも何度も改善することができる。
つまり、発した言葉や行った態度は取り返しがつかないが、文章は相手に届く前にやり直しがきくということである。

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近年スマートフォンの普及によって、親世代より電話をする機会が少なくなったと私自身感じる。あるテレビ番組でも、若者は電話が苦手な傾向があるという話を聞いたことがある。
時代のせいで電話をすることがあまりないとは言えるが、その分、LINEやTwitterなどの使用で自分の感情を文字にして自己確立をしていると言えるだろう。

自分の伝えたいことを、文字として何文字も並べたものが文章である。自分の中にあるもやもやした何か、考えは持っているけれどそれを文字にすることができないなど、そういうものを文字として、文章として表現していくことで、表現力が豊かになったり自分の軸を持ったり人として成長できるようになると私は考えている。

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歴史的に見ると、電話が開発されるまでは手紙でのやり取りが主流であった。また、日本人の特徴として、シャイで周りの人に合わせるというのが挙げられるだろう。だからこそ相手に自分を伝えられるように文章で表現することは大切である。
さらには、年々発行枚数は減少してきているが、お正月に年賀状を送るという文化が今もなお続いている。年賀状からはその人の字を見て懐かしく思ったり、久しく連絡してみようかなと人間関係を再構築したりする良い影響がある。これらのことからも、日本人には「文章を書く」という行為はこれからも大事にすべきことであると思う。

以上のことから、日本人が素の自分をさらけ出すことができて、相手と良い関係を築くことは文章にしかできないと考える。どんな手段・方法でもいいから文章が常に身の回りにある世界を保って、これからも文章を書き続けていきたい。