皆さんは、話し言葉と書き言葉、どちらが得意だろうか。私は、書き言葉の方が得意だ。
そう、私が文章を書く理由。一つ目は、口下手な自分の感情表現の一つだからだ。
メールでも、電話でも。日常会話でも、いつも「なんて言ったらいいか分からない」という状況に陥る。その状況になれば、恐怖や焦りを感じる。この気持ち、全国の口下手の皆さん、分かって頂けるだろうか。
また、幼少期から、この世についてなど、答えが一つではない、哲学的なことについて考えてしまい、行動できなくなったり、眠れなくなったりしてきた為、頭の中の考えを吐き出す手段として、文章を書き始めた。

二つ目は、初めて自分らしいと思えたものだからだ。自分には何もないこと、上手く人とコミュニケーションが取れないことをコンプレックスに感じてきたが、小学生の時に、人に自分の作文を褒めてもらえてから、人より、口下手な分、文章を書くことが得意なのではないかと思うようになった。

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文章を書くことで、得られたこと。一つ目は、分からない自分の感情を可視化、整理ができ、確認できるようになったことだ。
最近では、将来について、やることリストなど、スマホのメモ機能に書き出してみたりしている。メモ機能を使わなかった三年前と比べ、自分の感情や考えを可視化でき、目標に向かって、日々、行動できるようになったと感じている。
二つ目は、ストレスの軽減や感情の爆発防止に繋がっているということ。自分のストレスの根源は何か、知ることができ、漠然とした不安が減ってきていると感じている。また文字にし、可視化することで、自分が不安に思っていることや悩んでいることが、それ程、大きな問題ではないのではないかと感じることができ、感情をコントロールすることにも繋がっている。
三つ目は、自信だ。勉強もスポーツも人間関係も特に得意でない私が、文芸(言語芸術という芸術の分野では、生き生きとしていられる。そんな自分もいるんだと気づいた時から、文章を書くことが自信になった。

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私が文章を書くことで、成し遂げたいことの一つ目は、情報や自分の経験、考えを発信し沢山の人、特に、心が弱っている人の心を癒し、共感してもらい、その人の行動を、人生を動かすことだ。
私自身、鬱などの精神疾患を経験している人の記事をインターネットで読んで、苦しんでいるのは、私だけじゃないんだ、病気を克服すれば、こんな、明るい未来が待っているんだ、鬱のときは、このように過ごせばいいんだと励まされた。
まだまだ今の自分には、そんな力はないが、これから、文章を沢山書くことで、書く力をつけ、私の文章を読んでくださる方に、魅力的な、役に立つ文章を届けられるようにしたい。

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二つ目は、私自身が、言葉の暴力に傷ついてきたからこそ、言葉を人の人生を狂わせる凶器ではなく、人を癒す薬のように使いたいということだ。
誰かに刺された、毒のついたナイフで、そのナイフが抜けた後でも、刺された後、一生苦しみ続けなければならないのだ。時間の経過とともに、毒が抜けていくのではないかと思えば、年月が過ぎると共に、日に日に、痺れが増していき、のたうち回り、苦しまなければいけないこともある。フラッシュバックだ。

逆に、誰かからの何気ない一言で、その後の生き方が変わるぐらい、救われることもある。最初は、毒を飲まされたと思っていても、良薬は口に苦しというように、後から、凄く良く効く飲み薬だったと気づくこともある。
私も、あの日、自分のために言ってくれた厳しい言葉は、未来の自分を助けてくれている。また、ほんの少しでも、自分の書いた文章が、いじめなどの社会問題の解決のきっかけの助けとなれば、どんなに嬉しいだろう。