大学4年生が終わろうとしている。
もうすぐ卒業シーズンを迎えるが、この時期は決まって「アルバム問題」を思い出す。「アルバム問題」とは何かについて、「アルバム」と「問題」に分けて説明する。
まず「アルバム」とは、学校の部活動やアルバイトで卒業する先輩・後輩・同級生に向けて、仲間全員からメッセージを集め、写真や色画用紙で装飾してまとめたものを指す。これはコミュニティの中から制作担当が割り当てられて出来上がるものだ。
ではなにが「問題」なのだろうか。それは、同じコミュニティに属していたというだけで、顔を合わせても挨拶しか交わさないような人に対しても何かメッセージを書くように要求されることだ。
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私はこの文化が大嫌いなのである。理由は単純明白、書くことがないからだ。一体何のエピソードや思い出もない人に対して何を書けというのだろうか。
「今までお世話になりました」というのも違う気がするし、「もっとお話ししてみたかったです」と、思ってもいない事を書いて、本当に後日食事にでも誘われたらそれはそれで面倒くさいので書けない。
では書かなければいいのではないか、と思うだろうが、残念ながら私は提出しろと言われたものはしっかり提出したいタイプなのだ。
そんな私はとりあえずいつも嘘のない文章を書くようにしている。
例えば卒業する、浅い関係のアルバイト先の先輩に向けては「今日までの勤務お疲れ様でした。シフトでたまにお会いする程度でお話しする機会も少なく、いつも初めましてのような気持ちで会釈していました。笑 お元気で。さようなら。」といった文章を書いたことがある。
特に印象に残らないこの文章に何の意味があるのだろうか。私は「文章を書く」という事ではなく「提出物と期限を守って自分の面子を保つ」ことを目標にしているのかもしれない。
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この「アルバム問題」を、今年は私が周りの人に感じさせてしまう年である。
高校3年生の時に貰ったアルバムには「作ってくれてありがとう」という気持ちもあったが、どちらかというと「申し訳ない」気持ちが勝った。特に面倒を見ていない後輩からのメッセージは特に、読みながら変な汗が出てくる。こんなこと思っていないだろうな、と思ってしまう自分にも若干引きながら読んでいる。
今年も同じ気持ちになるくらいなら、今のうちから「アルバムとか大変だしいらないからね!大丈夫だからね!」と言って作らせないというのが妥当だろうか。逆に制作してほしいみたいではないか。本当に「アルバム問題」は難しい問題である。
本当に文章を書きたい相手なら、「アルバムに載せたいからメッセージ書いてください」とお願いされなくても手紙を渡すだろう。実際私も本当にお世話になったと思う相手にはアルバムの小さなメッセージカードには入りきらなくて別で手紙を書いて渡す。私以外にも同じような事を考えている人は少なくないと思う。
同調圧力により作られた社交辞令の塊を渡す文化はそろそろやめにしたらどうなのかと、この場を借りて勝手に代弁させて頂く。