私はイルカになりたかった。愛らしい顔からは一見想像のつかない賢さと、贅肉のない引き締まった体。海の中を自由に泳ぎ回り、時々水面から姿を見せて飛びながら進む。風でもあり、真っ青な海の美しさそのものでもある。
そんなイルカが大好きで、小学校の国語の時間には「私はイルカになりたい」から始まる詩まで書いたことがある。大人になってから水族館に行っても、彼ら彼女らの端正な身のこなしは、他の生物とは一線を画す孤高の麗しさを感じる。
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大人になって働くことが楽しみな子供だった。当たり前のように結婚するとも、おっぱいだって大きくなるとも思っていた。サンタクロースなんていないのだと気づくのと同じように、イルカにはなれないことを私はちゃんと知っていた。
その代わり、大人になってからは忙しくても輝かしい日々が待っていると、なんとなく夢見ていた。
あれから十数年経ち、私は一応大人になった。社会に出てからの数年は、働くことが苦しかった。というよりも、働く大人の残酷さが苦しかった。こんなに狭く苦しい世界で、結婚なんて無理だと思った。予感は当たり、その世界に私と同じ言葉を持つ人はいなかった。そして、いつまで経っても私の体型は素朴で、どこか幼いままだった。
書くことに目覚めなければ、私は一体どうなっていただろう。安定した給料のためだけに前職を続け、身も心も病んで全てを終わらせたくなったかもしれない。自分の欲望のためだけに向かっていく、生きる屍になっていたかもしれない。脳を活発にし、良い文章を書くために始めた運動の心地良さも、知らないままだったかもしれない。
自分だけの言葉を生み出すという行為は、圧力に屈して飲み込んだ悔しさを表現するのと同義だと思う。一度表に出してしまえば、後は幸運を呼んでドミノ倒しのように前に進んでいける。そしていつか「私の居場所はもっと他にある」という直感を信じられるようになる。
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それは小さな疑問と欲から始まった。
「どうしてこんなに素晴らしい才能があるのに、世間は多数派ばかりに注目するのだろう」
「この素敵な人達を、言葉にして伝えたい」
SNSから始まり、ブログ、エッセイと進む愉快な獣道で、大好きでかけがえのないあの人達は、私の指先でどんどんと言葉になっていった。そしてその先には、決して多くはないが、私の書くものを楽しみにしてくれる人の存在があった。
いくつかの帰着を経て、いつの間にか景色は暗くなり、トンネルを抜けた先に待っていたのは小説だった。
子供の頃からずっと、興味関心の海を泳ぎ、飛び回っていた私だけれど、最終目的地はここだったのだと確信している。
小説。この、よくわからなくてワクワクするもの。
私が書いた物語なんて、退屈で誰も読んでくれないに決まってる、という後ろ向きな気持ちは今も、捨てきれない。でも、今までだってそうだった。どんなに小さな書き込みも、どんなに独りよがりのブログでも、目に留めてくれる人がいた。開いてくれる人がいた。
私が書いたものが、その人達にどれくらいの影響を与えたかはわからないけれど、目に留まる、開かれるだけでも嬉しかった。だから小説も、たった1人で良いから、冒頭のほんの少しだけでも読んでもらえたら大成功だ。
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書くことが特別な喜びとなってから、社会のどんなことにも囚われず、自由になった。そんな私は、動物に例えるとイルカらしい。今まで乗り越えてきた全てのことがあり、一番大事な「書くこと」に出会えたから、イルカに似ていると言ってもらえたのだ。
出会えた、と書いたけれど実を言うと再会である。就きたい職業の何番目かに、いつも小説家はあった。大好きなのに見失って、気づいたらそばにいた。書くことは私の親友なんだなと思う。