小さいころから自分の気持ちを人に伝えることが苦手だった。
友達と遊びに行くときも「どこでもいい」といつも言う。
ご飯を食べるときも「なんでもいい」といつも言う。

本当は何でもいいわけじゃなかったけれど、自分の”したい”を言葉にするのが苦手だった。
お母さんにどこに行きたいかと聞かれても「どこでもいい」と言ったし、お父さんに何が欲しいと聞かれても「別に特にない」と言った。
本当は行きたい場所も欲しいものもあったけれど、言えなかった。
友達への「好き」も、お母さんへの「ありがとう」も、言いたくても言えなかった。

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そんな私がいつでも自分の気持ちを言える場所。それが文字だった。
何か嬉しいことがあった時、私はノートに思いを乗せる。

「今日は前から行きたかったお店に行ってきた。友達が一緒に行こうと誘ってくれた。誘いたかったけど、誘って微妙な反応をされたり、断られたりしたらいやだから自分からは誘えなかった。だからうれしかった。誘ってくれてありがとう」

直接本人には言えなかったけど、自分の伝えたい気持ちを文字に起こすことでどこか伝えられたような気がした。
私が初めて文字に気持ちを乗せた時。とてもうれしかったのを覚えている。
伝えたかったけど伝えられなかった気持ち。声に出したかったけど声に出せなかった気持ち。
文字にすることで自分のこころから放たれて気持ちがどこか晴れた気がした。

何かつらいことがあった時も、私はノートに思いを乗せる。

「今日は友達と喧嘩をした。原因は些細なことだったと思う。だけどそれを許せなかった。嫌だとも言えなかった。だから無視をした。なんて言ったらいいかわからなかったし、このままだとその子を嫌いになっちゃいそうだったから」

心に抱いたつらい思いを外に出せないでいるといつか壊れてしまいそうだった。それでも外に出せない思いは、文字でもいいからきっと心から出してあげた方がいい。

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いつからか手紙を書くことが好きになった。きっと直接伝えられない思いを文字にすることで相手に伝えることができるからだ。

友達の誕生日、私は友達に長文のラインを送る。彼女かって突っ込みが入りそうだけど、そういったレベルでたくさんの気持ちを年に1回文字に込める。
誕生日プレゼントを送るとき、私は何枚かに及ぶ長文の手紙を添えて送る。最後のお別れかって、なにがあったのって思う人もいるみたいだけど、年に1度くらい許してほしい。
友達に、誕生日何が欲しいって聞かれると「手紙が欲しい」と答えるようになった。
「そんなものでいいの」って言われることもあるけれど、私にとって手紙は自分の思いを人に伝えることができる唯一の方法だ。

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そうやって自分の気持ちを声ではなく文字に乗せていくうちに文章を書くことが好きになった。
声でなくても文章には口調があって、言い方もある。話さないと分からないことなんてなくて、文字でも伝えられることがある。

私はいつか発信したいと考えている。自分の声で何かを伝えることは得意ではないから。
いまや翻訳サイトに突っ込めば1つの言語で書いた文字も何百もの言語で見ることができる。
私はいつか伝えたい。声に出せない自分の気持ちを、文字を使って。