私は大学3年、21歳。文章を書くことを苦手としています。読書感想文も、随筆も、自由研究もレポートも苦手。夏休みの宿題として課された読書感想文や自由研究はほとんど、いや、99%母が作ったものといっていいぐらいです。
なぜ文章を書くことが苦手なのでしょう。

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まず思いついたのは、書くことに自信がなかったこと。
私は厳しい母の元で育ちました。勉強はできて当然だし、やるべきことをやらないと怒られました。叱られたり諭されるというより、大声で怒られ、時々ビンタされたりおなかを蹴られたり、家の外に閉め出されたりもしたのです。

世の中には同じようなことをするお母さんもいて、「その程度で被害者面するな」と思われる方も多いかもしれないので、「怒られたら怖いな」「不快な思いをさせたくないな」とも思うのですが、その批判は関係ありません。私はそれで悲しかったという事実は変わらないのですから。

それはさておき、母の期待に応えないとまた殴られ蹴られ絶望に近い感情になってしまうことや過去に心ない言葉を同級生からかけられるなどのいじめ、裏切りを経験したことにより、何をするにしてもハードルは高くなる一方だったのです。
「下手なのに書くんじゃない」「おまえこんな文しか書けねぇの」といった嘲笑や理不尽な言葉を恐れてばかりで、自分の書くことに対する自信がないから一歩を踏み出せず、そしてそのように逃げていたからまた書く経験ができず、自信がないままでした。

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もう1つ思ったのは、自分の感情を受け入れられていないことです。
「思ったことを書け」というものが多い中、私は自分が思っていることがわからず「特に何も思わないんだけど」と作文に手間取ることがほとんどでした。
なぜ自分の感情がわからないのか。

それは、自分の感情を抑える癖がついてしまっているからです。「ここで笑ってしまうと白い目で見られるのでは」「これは素直に受け取って喜んでいいのか」と思って笑うことを控えることが多いのです。
ではなぜ自分の感情を抑えているのか。

それは、母に怒られて泣いたときに「何で泣いているのよ、泣きたいのはこっちよ」とさらに怒られたことも影響していると思います。自分なんかが楽しいなんて思っちゃいけないんだ、泣きたいときに泣いてもだめなんだ、幸せそうにも不幸そうにするのも全部怒られるから、感情を見せちゃいけないんだ。そう思っていたのかもしれません。
そうやって感情を隠し、何かを思うことを否定する結果が書くことの妨げになったのだと思います。

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この2つから、自分に「なんで」と問うてみて、文章を書けない理由は自己肯定感が低いからだと思いました。
実際、自分の「思う」ことではなく、ただ事実から考えられることだけを書けばいいレポートなら、大学の課題として書く必要に迫られてたくさん書き、最近は恐れずに書けるようになったのですから。

よって、自分の思うことを書くには「自分は思っていることを書いていいんだ」と思うこと。それが大事です。
今思っていることは思っていていいし、書きたいことは書いていい、誰かに伝えたいことは伝えていい。周りになんていわれて傷つけられようと、周りは周り、あなたはあなた。完全に周りに合わせる必要はなくて、あなたらしさはそのまま持っていていい。

この私も書いていいのですから、是非、あなたも何か伝えたいことがあったら、それを誰かに伝えてみてください。思いを伝えることが、あなたの人生をよりカラフルにしますように!