「高校時代」。その言葉を聞いて、多くの人は何を思い浮かべるのだろう。
クラス全員で盛り上がった文化祭?
部活で大会優勝を目指していた放課後の練習?
友達と寄り道して食べたパンケーキ?
恋人との楽しいおしゃべりを思い出す人もいるかもしれない。
私の場合は少し違う。私が思い浮かべるのは、カウンセラーの方から言われたある言葉だ。

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中学までの私を知っている人がいれば、私のことを「明るい人」と言うに違いない。「悩みがなさそう」「元気すぎ」とよく言われる毎日だった。
それが変わったのは、高校に入学してからだ。まあ、なんてこともない。クラスの男子にいじられたのだ。「いじめ」という程でもない、軽い「いじり」程度のもの。普通の人なら軽く流して、気にも留めないであろうものだ。

しかし、私が普通の人と違ったのは今までそういった「いじり」を受けたことがなかったという点だ。つまり耐性0の、メンタル豆腐状態。それまでの周囲の環境がいかに優しかったか、いかに自分が甘やかされて育ったかを思い知った瞬間だった。
そんな人間が初めて「いじり」というものを体験したら、どうなるか。
結論を言えば、普通の生活が出来なくなった。

自分に対する自信がマイナスまで下降し、人に対する恐怖が浮かんできた。どんな行動をしても笑われそうで。自分が今人からどう見られているのかが1日中気になってしょうがなかった。
今まで悩んだこともなかった人間関係が、どうすればいいのかまるで分からなくなった。
そして徐々に教室から足が遠のき、気付けば私の学校内での居場所は保健室になっていた。

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仮病で保健室に行っていたのだが、流石に頻度が多すぎればバレるというもの。保健室の先生に優しく聞かれて、ついつい自分の今の状態について零してしまった。優しさに飢えていたのである。
そして、保健室の先生に勧められて足を踏み入れたのが「カウンセラー室」だった。

「カウンセラー室」を利用したことがある人って意外に少ないのではないだろうか。少なくとも私はそれまでの学校生活で一回も利用したことがなかった。
ドキドキしながら入った私をカウンセラーの方は優しく出迎えてくれ、ハーブティーを入れてくれ、そして話を聞いてくれた。
そして彼女は私にこう言った。

「自分が今何に悩んでいるのか、何が悲しくて何が怖いのか、その気持ちを全部言葉にして書いてみよう」と。
「今、あなたは「怖い」「悲しい」「不安」っていう色々な感情が混ざり合ってしまっている状態だと思う。だから、その気持ちを、その気持ちの理由を自分の言葉で書いてみて。誰に見せるわけでもないんだから、拙い文章でも大丈夫。ただ、そうやって書いて、書いた文章を自分で読んでみたら、きっと今の自分のことがよく分かる。自分の状態を整理して、見つめ直せると思うな。」と、彼女は穏やかな声で私にそう語りかけた。

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その日の夜。私は、使いかけのノートに自分の気持ち、思いを書いてみた。
書き言葉や話し言葉、誤字脱字が酷い文章だったけれど。それでも。
なんだか書いているうちに、自分のグチャグチャとした心の中が少しずつ綺麗になっていくような気がした。

言葉にすることで、漠然と抱いていた負の感情が明確になり、「ああ、私は今、こんなことが怖いと思っているんだ」と分かってくる、そんな時間。
初めて、自分自身と対話したかのような感覚だった。

それまで、「文章を書く」ということは他者あってのものだと思っていた。
先生に提出する宿題の作文や、家族や友達に送る手紙。そんな、自分ではない誰かに、何かを伝えることだと。

でも、この経験をした私はこう主張したい。
「文章を書く」ということの価値はそれだけじゃない。自分の思いや気持ちを言葉で表し、思考を整理し、感情を浄化するためのものでもあるのだ。
この主張が、この私の経験が、誰かの糧になればいい。
そんな願いを持ちながら、私は今、この文章を書いている。