今思うと、「文章を書くこと」は、私の人生にずっとつきまとってきた。タイムリーな話では大学のレポートだが、一番は中高の時である。

◎          ◎

私の通っていた中高は、春休みや夏休みのたびにその期間で感じたことを文章にして、みんなの前で読む作文課題があった。入学前から出る課題で、テーマが決まっているときもあれば、自分で好きに決められるときもあったが、私はその課題が苦手だった。

もともと、文章を書くことや大勢の前で読むのが得意ではないこともあるが、何より、自分の想いや感情など、自分に関することを言語化するのが苦手だったのである。そんな課題があるならこの学校には……なんて思うほどだった。

特に壁にぶち当たったのは、高校3年生である行事の運営委員長になったときだ。
委員になると、行事のテーマを決めたり、グループを作ったりとやることが多く、とにかく忙しかった。委員長は組織の長であるため責任も重く、みんなの意見をまとめて最終的な答えを出すと、それがいつの間にか自分のエゴになっていないか心配する毎日だった。
そんな中、先生から「委員長として、みんなの前で読まない?」と言われた。

◎          ◎

その行事では毎年、委員長が代表して読む習慣があったようだが、最後の学年行事だから、という軽い気持ちで委員長になった私はそんなことなど全く知らず、はっきりと返事をすることができなかった。みんなの前で読む恥ずかしさ以上に、決められたテーマが「自分自身」についてだったからである。行事の目的、自分自身を見つめ直すことが、まさか当日より先に来てしまうとは思ってもみなかった。

私の反応を見て先生は、「強制じゃないから、無理そうだったら他の委員の子に頼むよ」と言った。先生なりの配慮だったと思う。
しかし、当時の私にとってその言葉は、期待されていないのではないかという負の感情を引き起こしたと同時に、”自分”という存在を言語化できる良い機会だという前向きな気持ちも生み出した。

そこから夏休み中はずっと、ペンを持ち続けた。最初は、原稿用紙4、5枚なんて書けないと思っていたが、書いては消して、書いては消してを繰り返すうちに、この言葉は私にピッタリかも、昨日の私こんな風に書いてたっけ、と文章を通して、自分が見落としていた"自分"を発見するようになった。気付けば、嫌だなと思っていた言語化が、楽しいとまでは言えないものの、悪くないかもと思えるようになっていた。

◎          ◎

思っていた以上に上手く書けた達成感と共に、意気揚々と先生に提出した。しかし、力及ばず。修正の長い旅が始まったのである。
作文集に載ることが決まっていたため、耳で聞いて相手が理解できるかだけでなく、目で読んだときに相手にどう伝わるか、もう一度考える必要があったのだ。

その作業の中で、先生が修正した「一人ひとり」という言葉。私は最初、「一人一人」と書いていたが、先生は「一人ひとりの方がいろんな人を含めている感じがしない?」と言ったのである。
漢字で書けるところは漢字で書きなさいと教えられた私にとって、その書き方は衝撃的だった。その時に、言葉の表現の多様さを知り、文章を書くことの面白さを感じ始めた。

◎          ◎

行事が終わった後、良かったよという声や私らしかったという声をもらった。自分自身を言語化することの難しさを感じていた私にとって、「私らしかった」という言葉は、最大の賛辞だと感じている。これは、「文章を書くこと」で自分自身としっかり向き合うことができた結果だろう。

大学のレポート一つにしても、文章の引用を除いては、全部自分から出た言葉である。書き方や使う言葉によってその時の自分を表現でき、それは、過去の自分、現在の自分、未来の自分をつなげてくれると思う。「文章を書くこと」は、そんな“自分”を一つにするためのツールなのかもしれない。