初めて文章を書くことが楽しいと思ったのは、小学3年生の時だった。
それはたしか、夏の思い出を作文にしましょうという授業だった。みんなの前で全文読み上げた時の、「高校生だって書けるか分からないくらい良い作文だった」という先生の言葉が、テストで100点を取るより嬉しかったのだ。
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私は典型的な運動音痴で、特にプールが大嫌いだった。
それなのにその年は、平泳ぎができるようになるまで夏休み返上で、先生に習わなくてはいけなかった。加えて、泳げるようになった子はお祝いで先生にプールへ投げ込んで貰えるという、何とも嬉しくない副賞もあった。
その地獄の特訓と泳げたときの事、投げ込まれた瞬間を作文にしたのだ。
今でも覚えているのは、嫌だった特訓でも、怖いと有名だった先生のことでも、泳げた瞬間でもない。
泳げるようになった日、お祝いで水中へ投げ込まれたときの、一瞬なにも聞こえなくなり、キラキラと光る泡が上っていく光景。
これが、ずっと忘れられない瞬間であり、私が泳げるようになった証であり、作文で1番大切に書いた部分だった。
中学でも高校でも相変わらずプールは大嫌いだったけれど、平泳ぎだけはなんとか泳ぐことができた。そして今でも、泳ぎに関する話になったときにいつも思い出すのは、あの日の光る泡と褒められた作文だ。
作文にして、たしかにあの思い出が私の中で宝物になっていたのだ。
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あれから18年ほどの間、様々な文章を書いてきた。
今は、泳げるようになった日の作文とはほど遠い、悲しかった記憶や乗り越えられなかった挫折、自分の弱さやどうしようもない未熟さばかり書いているように思う。
なにかに憤り、訴えたくて書き始めても、書き進めているうちに自分の欲や、自分勝手さばかりに気づいてしまい、文章を書くのが苦痛に思うことばかりだ。
それでも、私は文章を書き続けていきたい。
私にとっては、思い出や考えを文章にすることが、自分自身や目の前のもの、過去や未来と真正面から向き合うことに他ならないからだ。
そして、向き合って形にしたものだけが、私の中で残り続けてくれるからだ。
あの夏、私に平泳ぎを叩き込んだ先生は、川の多い地元では珍しくなかった子どもの水難事故を、少しでも減らしたいのだと言っていたそうだ。
川も海も絶対に入らないからプールに入りたくないと泣いていた私は、宣言通り、義務教育を終えてから今まで海にも川にもプールにも入っていない。
ただ、洪水や津波や浸水のニュースを見る度に、私の人生にとって必要な技術を教えて貰ったんだよと、あの頃の私に教えたくなる。
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私の人生はこれまでも、きっとこれからも、あの日のキラキラと上っていく泡のような、美しい瞬間ばかりではない。苦しいことがあり、格好悪い自分がいて。それと向き合って、答え合わせをできるのは何年も先かもしれない。
でも今ひとつ分かることは、自分の感情や見たもの、感じたことを大切にすることは、いつかの私を少しだけ救うこともあるということだ。
だから私は、できるだけ文章を書いていたい。
どんな思い出も感情も、想像でさえも、ひとつずつ、少しずつ、宝物へ変えながら。