未来の私は、心と行動が一致する人でいてほしい。

私は今、周りの目を気にして、与えられたキャラになりきって過ごしている。特に職場において。
どんなキャラかというと、天然、元気、ぶっ飛んでる……そしてちょっと空気の読めない不思議ちゃん。新入社員の頃に張り切りすぎて無理をしていたら、いつの間にかそれが周囲の思う私のイメージとなってしまったのかもしれない。 

そんな風に思われているので、その通りのキャラを全うする事にエネルギーを費やしている。はっきり言って無駄な労力だ。しかしそれも仕事だと思って出勤している。

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部署メンバーとの打ち合わせの際に上司が寒い発言をしてすべったら、わざと脈絡のない話(あの新製品の企画ですが〜、とか)を投入して、みんなを呆れさせる。先輩方に「流石ぶっ飛んでるわー」などと言われ、みんなの注目はあっという間に「いきなり無関係な話題をぶっ込んできたヤツ」に注がれ、上司がすべったことなんて一瞬にしてかき消される。

本当は、雑談ばかりの会議に嫌気がさしたのでさっさと話題を変えたかったのだ。自らのキャラを利用して空気を変えたものの、やはりモヤモヤが残る。そんな回りくどい小細工をせず、シンプルに「雑談長すぎですよ、そろそろ次の議題行きましょ!」と爽やかに言えたらスッキリするのに。

同僚との飲み会では、彼らの話を最後まで聞かずに勝手に納得したフリをして、わざと的外れなコメントをしてみる。すると周りがそれに笑ってツッコミを入れる、というお決まりの流れがある。

もし私が真面目に最後まで話を聞き、思った事を伝えたら、「いつもと違うじゃん!どうした?」なんて言われ、場がしらけてしまうかも知れない。やったことはないのであくまで「かも知れない」なのだが。

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そんな調子で、空気の読めない天真爛漫な子、という箱を被った私は、心と行動がチグハグで、複雑に絡まってしまったネックレスみたいだ。それも含めて本当の自分だ、というような事を言う人もいるが、決してそうではないと思うのだ。明らかに心と行動が一致していなくて気持ちの悪い日々なのだから。

未来の私にはどうか、この他人が作ったキャラという箱を捨てていてほしい。他人の眼鏡で生きている今は、心底居心地が悪い。架空の自分を演じるのは疲れる。

心のままに生きられる私はどんなだろう。突拍子のない発言で空気を乱すことはないだろう。一曲しか知らない歌手を好きな歌手だと言わないだろう。変に明るい、渇いた笑い方なんてしないだろう。気乗りしない飲み会には付き合わないだろう(フットワークの軽い人だなんて思われなくたっていいじゃないか!)。

未来と言うと、10年後、20年後というイメージがあるが、もう明日からでも始めたい。意識しよう。周りが決めつけたキャラなんていらない。心の声をそのまま外に出そう。心と行動が一致したら、きっと今より自分が愛しいだろう。