私にとって文章を書くということは、自分の世界を作ることだと言い換えられます。
人と話すことがあまりうまくない私は、話を振られたときに自分の伝えたいことをうまく喋ることが得意ではありません。もっといい表現があったな、こう言えば良かったなと1人反省会を行うことも日常茶飯事。目と目が合うと素直におしゃべりできない……なんてどこかのラブソングのように悩むこともしばしばあります。
そんな会話に対して文章を書く、ということは、気に入らなければ書き直すことができるし、自分の綴った言葉を削ったり、足りなければ増やしたりと、自分の納得のいく表現を突き詰めることができます。その場限りでなくなってしまう音声とは異なり、文章は自分の思いを残すことも出来れば変更することも出来てしまうのです。
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これはひとえに文章の持つ、自分が書いてから他者の目に触れるまでにタイムラグが生じる性質にあります。
手紙であれば相手の手元に届くまで、レポートであれば採点者の目に触れるまで、会話よりも文章には言葉を吟味する時間が与えられているのです。会話の苦手な私にとって、先述した文章の性質は助かりますし、文章を書くことが好きな一因でもあります。
しかし形として残る言葉だからこそ、会話よりも文章には気を遣います。おかしなところはないか、誤解を招く表現は無いか、一度相手の手に渡れば音声よりも訂正するのが難しい文章ではこのように気を遣わなければなりません。そうして出来上がる文章は、私が伝えたいことを詰め込んだ私の世界のように思えるのです。
ちなみに私が文章を書く際のこだわりは語尾にあります。同じような文章の語尾が続いていないか、文章の冒頭を合わせて違和感がないか、時には体言止めを使ってみたりと今もまだ試行錯誤の途中です。
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さて文章を書く、ということにあたって私の中で一番印象に残っているのは小学生の頃、国語の時間に書いた創作の物語です。
教科書に掲載されている作品のIFを書いてみようという題材をだされたときに、周囲の同級生が原稿用紙2、3枚で終わらせるところを、創作活動にどっぷりと漬かってしまった私は、追加の原稿用紙を何枚も貰い、授業時間では飽き足らず、自宅でも原稿用紙を買い足して書き上げるほどのめり込んでしまいました。
自分の手で物語を作ることができることを知った時の感動は今も忘れません。原稿用紙20枚超の超大作が完成した時、目の前に広がるのは自分の言葉だけでできた自分の世界でした。提出期限もありますから、完全に自分の頭の中の物語を落とし込めたかと言われれば答えはNOです。しかし世界中の教科書どこ探しても載っていないその物語は確かに私だけのものだったのです。
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今でも時々その原稿を読み返しては、当時の感動を鮮明に思い出すことができます。
先生やクラスメートが書いてくれた感想も私をあの日に連れ戻してくれる大切な言葉です。その原稿にまつわる事だけでなく、その当時の周囲の出来事全てが、綴られた文章から溢れだしてきます。
自分で書いた文章は、時として写真以上に思い出を回顧するのに役立つように思います。やはり文章には自分の言葉と共に思いを残す力があるのではないでしょうか。
なにかと忙しい現代社会においては私用で文章を書く、という事柄が減ってきているように感じます。文章は否応なしに言葉とそして自分と向き合う時間を齎してくれます。
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自分の中にある言葉を文章に起こし、読んでみる、自分の世界の確認作業は、個性がすり減らされる忙しない社会で自分のアイデンティティを明確にしてくれること間違いなし。
文章を書くことは話すのが得意でない私にとって、自己表現の重要な手段の一つです。
私はこれからも自分の思いを言葉に乗せて、自分の世界を作り上げる、文章を書くという行為を大事にしていくつもりです。
そして時々自分の文章を読み返して過去の自分に会いに行こうと思います。