結果を話す人は多い、と思う。
昔の俺はクソだった、けど今お前に出会えたからもう昔みたいには戻れない、だとか、昔の私はこんなことでもいちいち怒っていたけど、今はマイペースにゆるゆると生きられるようになりました、とか。
結果ばかりが溢れたこの世界で、本当に人を癒す力があるのは、過程だと思います(あくまで私の主観ですが)。

この文章も含め、どんな作品物にも、人の目を気にした社交性を感じることが多いです。
誰か特定の人を傷つけないようにとか、こういう風に見られたい、ああいう印象を持たれたい……。
でも、私が辛い時、ひとりぼっちだと感じる夜、本当の意味で私に「生きててもいいんだ」と思わせてくれたのは、誰かの正直だったように思います。

「今」悩んでいること。
「今」頭がどうにかなってしまいそうなこと。
「今」苦しくて眠れないということ。
そういう誰かの本当の正直というものに「あんただけじゃないよ」と言ってもらえた日から、私は、意識的に正直でいよう、と思うようになりました。

本当は心臓バクバクなのに、何も感じていない平気なふりをして余裕かますんじゃなくて、緊張で手が震えて派手に転んだり鼻血を出して、それでも生きてる、学んでいたいと思うんです。
こういったことを決意するたびに思い出すのは、ある知り合いのエピソード。

◎          ◎

彼は小学校から高校卒業までずっと引きこもりで、友達もいなかったそうです。
19歳のある日、突然この状況を変えたいと思い、地域の社会人サークルのイベントに片っ端から参加していったところ、数年後、そのサークルでは知らない人はいないくらいの人気者になったそうです。

友達を100万人作れたところが素晴らしいのではなく、彼が自分の過去を宝物のように誇らしげに語っているその姿が素晴らしいと思いました。
「今俺、サークルで人気者です」じゃなくて、「昔こういうことがあって、それじゃダメだと思って緊張したけどチャレンジして……失敗して……上手くいかなくて……」みたいな、過程を宝物のように思い出している様が素晴しい。

彼を思い出すたびに、(私にはまだそんなかっこいいエピソードはないけれど)正直でいようと、素顔のままでいようと、奮い立たされる思いがするのです。

◎          ◎

きっと正直でいると、誰かに笑われることになると思います。
正直でいることをださい、と言う人がいることは20数年生きてきたので知っています。

でも、私はこの世でひとりぼっちでもいいから、正直であり続けたい。
だって、カッコ悪いことが、失敗が、人からださいと言われることが「悪」になって「恥ずべきこと」「隠すべきこと」になってしまったら、誰の努力も認められない、成長のない才能だけが信頼される世界になると思うから。

私はもうすぐ30になります。後ろを振り向けば後輩、なんて呼べる人たちもいる年です。
30の私がもし、少しだけ長く生きた人間として、後輩たちにできることがあるとしたら、カッコ悪い素顔の私を見せることなんじゃないかなと思う今日この頃です。

間違えても、転んでも、大丈夫、ちゃんと明日は来るから大丈夫、まだまだ人生楽にはしみどころがあるから大丈夫、って、思えるようなネタにしてもらえたら、と思う次第です。