高校を卒業した3月、私はアルバイトを探していた。かねてより憧れていたカフェバイトを検索してみるが、週に3日以上、5時間以上などと規制が多く、何より時給が1000円未満のものがほとんどで、中々いい求人は見つからなかった。
仕方なく検索条件からカフェを消し、業種を問わない代わりに1000円以上に絞ると、塾講師や家庭教師など教育関係ばかりが残った。しかもどれも1000円を優に超える時給だ。試しにさらに高い時給で検索しても、面白いようにまだ残る。
教育系の給料がいいのは知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。しかも勤務日数の規定もカフェより緩いところが多かった。
バイト時間を減らして学業と両立させたい、でも自力で生活して、そこそこ娯楽にもお金を使えるくらいには稼ぎたい、というなんともわがままな私は、条件と時給に目がくらんでカフェ店員への憧れを簡単に忘れた。
かくして現在の私は、自分で満足できるだけの高時給で塾と家庭教師のバイトを掛け持ちする身となった。有難いことに今のところ仕送りに頼らず、わがままな希望を叶えられている。
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そうして優雅な一人暮らしを満喫していたある日、母との電話で私の給与の話になった。年間100万円を超えたらいけないから聞きたいのだという。
時給がこれで週にこのくらい働いてるから、と口にしながら計算する私に、母は何気なさそうに言った。
「なつめ、CD屋で働いてた時の私より給料いいよね」
「え?」
せっかく計算していた結果が吹っ飛んでしまうくらい、母の一言の衝撃は大きかった。
なにせ母はバリバリのキャリアウーマンなのだ。今でこそ祖父から自営業を継いで、小さな会社の社長職をこなしているが、その前、私が高校に上がる前くらいまではCDショップで店長をしていた。
好きな音楽に触れられる職につき、売上も年々伸ばしていた。数ヶ月に一度は必ずと言っていいほど社長賞やら売上成績の優秀賞ももらっていた。研修に合格して時給が50円上がったという話も何度か聞いた。
これだけではない。一番衝撃的だったのは、店長とはいえパートで、制服のエプロン姿の母が、社員の若いスーツ男3人に揃って「お疲れ様です!」と深々頭を下げられていたことだ。
肩書きも格好も年齢も何なら性別も、あえて言うなら社会的に下に見られることの方が多いはずの母なのに。いつも私と軽口を叩き合っているフレンドリーな母なのに。
スーツ男3人の敬礼は、母がどれだけキャリアウーマンであるかを私に知らしめた。
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にも関わらず、私の方が時給が高いなんて何かの間違いとしか思えなかった。しかも100円、200円程度の差ではない。バイト未経験、大学生、勤務時間も日数も限られていて、生徒の質問全てに答えられるわけでもない。どう考えてもおかしかった。
それほど教育業界は羽振りがいいのか。そうだろう。受験期の私の塾代だってバカにならなかったはずだ。私が低いから嫌だと一刀両断した時給で母は働き、私や社員の尊敬の的となり、私を育て、塾に通わせ、仕事が楽しいと話し、家に帰った夜やたまの休みには私と笑っていたのだ。
尊敬、申し訳なさ、感謝、そんな言葉では到底表しきれないほど大きな波が私を襲った。
「で、そろそろ計算できた?」
何とも思っていないように母が問いかけてきて、私を現実に引き戻す。
その後、私は何を言っただろうか。ありがとうを言えただろうか。思考回路が止まってしまっていてよく覚えていない。
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いつか母に感謝を伝えたい。でも、「ありがとう」さえ陳腐に思えるほど偉大な母に、どんな言葉を渡し、どんな行動で示せば良いだろうか。立派な大人になることだという人もいるけれど、それでいいのだろうか。
だとしても、将来私は母のようになれるだろうか。なると決めるなら、これから続く私の人生と登らなければならない階段の長さは果てしないものになる。けれど、果てのないその道を、私は誇らしく思った。
未来の私よ、あなたは今どこまで母の背中を追えていますか。