文章は書けるけど、文字は書けない。文章を書くのは好きだけど、文字を書くのは嫌い。それが私。私は大学に通いながらライター活動をしている。企業の広報SNSを担当していたり、雑誌で商品紹介の記事を書いていたり、文章を書くことは私の生活の一部になっている。私は文字の書けないライターだ。

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私が文字の書き取りに困難さを感じたのは小学校3年生の時。1~2年生の時はほかの生徒も文字を習いたてでゆっくりでしか書けなかった。だから、気にならなかった。
3年生になると周りのみんなはスラスラと文字が書けるようになっていた。私はそれについていけなかった。黒板の文字をノートに1文字写している間に3行も進んでいることが日常だった。
黒板から目を離した瞬間、その文字のパーツが頭の中でバラバラになってしまう。一生懸命かき集めても元の形に戻らない。あきらめてもう一度黒板に書かれてある正しい形を見る。そして、バラバラになる。そんなことを繰り返しているものだから、授業が終わっても、休み時間が終わっても、次の授業が始まっても、私のノートは完成することはなかった。

それでも頑張って書いていたが、報われない頑張りほど続かないものはない。4年生になるころには、今日のめあての1行だけになり、5年生になるころには、いつ開いてもまっさらなノートの持ち主になっていた。
先生からは、サボっていると思われていたと思う。パーツの少ない数字を書く算数のテストはいつも満点だったし、複雑な形を覚えなくてもいいアルファベットは得意で英語もできていたから。
「なんで、ちゃんとやらないんだ、ちゃんとやればお前はできるだろう」
「授業態度が悪いとテストで良い点とっても意味ないぞ」
そんな言葉は中学を卒業するまでの間に耳にたこができるほど聞いた。

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私が何よりもつらかったことは、文字が書けないということだけで、私のすべてを否定されることだった。
絵画コンクールで賞を何度受賞しても、写真のコンテストで入賞し新聞に掲載されても、どれだけほかのことを頑張っても、文字が書けないと言うだけで、否定される。「絵では食べていけないんだから学校のことをちゃんとしなさい」「今のお前の授業態度だと、何を頑張っても将来真っ暗だぞ」と。
私は、絵の才能も、写真の才能も、みんなと違う才能なんて何一つ欲しくなかった。私は才能なんかより、みんなと同じ普通が欲しかった。

進学した高校ではICT教育に力を入れていて、課題提出も授業中のノートもタブレットやノートPCを使えた。私は初めてみんなと同じ土俵に立てた。このころから、パソコンを使って文章を書くことが増えた。
演劇部の脚本を書いたり、プレゼンの原稿を書いたり、たくさん書いた。文字を書くことから逃げ続けていた私が文章を書いたのだ。周りからも「文章書くのうまいじゃん!」とほめてもらえた。文字が書けなかった私が、文章を書いてほめられた。嬉しくてたまらなかった。

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成功経験というものは驚くほどのパワーがある。絵や写真で表現してきたことを今度は文章で表現してみたいと思った。文字の書けない私には無縁だと思っていた文章が、急に身近なものに感じて、挑戦してみたいと思った。

何度かコンクールなどに応募して、私はついにエッセイで賞をとった。表彰式で私は「賞をいただけたのがウソみたいで……。実は私、手書きでは文字が書けないんです」と告白した。勇気をもって打ち明けたものの、恥ずかしくて、情けなくて、顔をあげられなかった。
「文字の書けないライター!面白いじゃん!キャッチコピーにしなよ!」と、声をかけてもらった。その一言をきっかけに会場はポジティブな言葉で埋め尽くされた。

私は文字が書けないライターだ。今は胸を張って言える。私の生きる文章を書く世界では、文字を書けないコンプレックスだってキャッチコピーに変えられる。きっと私だけじゃない。誰かの抱えるコンプレックスだって、私の書く文章で強みに変えられるかもしれない。だから私は文章を書き続ける。