まだ生きてたんだ。
過去の私が未来の私、つまり今の私を見ると、真っ先にそう言うだろう。
死んだ後の他人の視線が気になって死ねない程度の、消極的な希死念慮を小学生くらいから抱いていた。
環境が悪いんだ。そう思うことにした。
中学にあがれば、高校にあがれば、この街から出れば、環境が変われば、良くなるかもしれない。そんな希望は泡のように消えた。
結局良くなることはなくて、環境が変わっても塞がらない心の穴に気付いた。
その心の穴を塞ぐ方法が分からないし、このまま穴が広がって痛みに耐えきれずに死ぬんだろうな。
◎ ◎
ずっと、早送りの映像を見ている感覚があった。
あたしだけ違う速度の世界にいる。
国語の音読では、他人が音読する速度に追いつかなかった。
宿題をやるのに時間がかかって疲れて予習どころじゃない。
バイトも混むと何が起こってるのかわからない。そういえば、足も遅いし泳ぐのも遅いし会話も遅いし計算も遅いし運転の判断も遅い。覚えるのも遅いし読むのも遅いし選ぶのも遅いし書くのも遅い。
料理を作るとき、途中で卵を落としたり粉を撒いたり、それを立て直すのに余計に時間がかかる。
スーパーでは何がどこにあるか予測すら立てられなくて買い物に時間がかかる。
みんな器用に時間という波を乗りこなす一方で、私はいつも時間という波に呑み込まれて溺れている。
この特性はネガティブなもので、ネガティブなことばっか言う奴は不快でつまらなくて他人に嫌われると思い込んでいた。
コンプレックスのように気にしてるのに、気にしてるなんて口が裂けても言えなかった。
◎ ◎
私だけが0.75倍速の世界の住人だ。
0.75倍速では、1倍どころか更に加速してく世界に追いつけるわけがないし、追いつこうと必死に食らいついたとして、その先に何があるのだろう?
22歳で大学を卒業して就職して30前後で結婚して家庭を構え子供を作り仕事ではキャリアアップ、育児では子供を健康に育て上げる、みたいな、「普通」の人生設計はもう跡形もなくてもはや清々しい。
自分で考えて生きるしかない。社会的には一番死んでるのに、自分で考え歩き始めた今が、一番生きてると思える。
基準が0.75倍速なんだから、別に全てが遅くたって良くない?この速さで生きることの何がいけないのか教えて?と、強気になれるくらいには自分のことを受け入れられている。
みんなが高速道路を走り抜ける一方で私は下道で、というか徒歩でのんびり進むことにした。
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東京でも冬の空気は澄んでいる気がする。空気が美味しい。図書館の自習席で単語カードを駆使して自習に励んでいる人に勇気づけられる。エッセイの感想を編集部の方から頂けて嬉しい。
毎回定型文のように「ありがとうございます。」って送ってるけど、頂いた文章は毎回メモアプリに残している。
月2000円。
週一で提示されるテーマをもとに書いたエッセイが採用されると、最大で月に2000円(のAmazonギフトカード)が手に入る。
中学生のお小遣いを稼ぐのも一苦労だ。
でも携帯料金が月3000円だから赤字だ。
銀行にある貯金もそろそろ尽きるし、バイトをしなきゃいけない。
特に生理の日などサボりつつも、大体登校していた学生時代に比べ、私は堕落した生活を送ってる。でも、他人の目を気にしてるだけの、「生かされてた」だけの時代に比べたら自発的に生を選んでいる今の私は、遥かに生きていて、そんな自分が好き。
自由に日本語の海を泳ぐように、自由に英語の海を泳いでみたい。なにかをしたいと主体的に思えるようになった。私は過去の私と違って、「未来の私」を肯定的に捉えている証だ。
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自分のことを好きになれる日が来るなんて思わなかった。あの頃の私に、「自分のこと、好きになれたよ」って伝えたら、「ああ、好きになれたなら、そりゃ生きるよね」って絶対祝福してくれる。
未来の私が英語を読めるようになっていても、いなくても、正直どっちでもいい。
未来の私が、更にその先の未来を肯定的に捉えていますように。自分のことを好きでいれてますように。ただそれだけだ。